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承久の乱は,朝廷と鎌倉幕府の関係を大きく変化させる契機となった。乱後,両者の関係はどのように変化したのかについて,具体的に述べなさい(200字程度)。

<解法の手がかり>

問われているのは,承久の乱後,朝廷と鎌倉幕府の関係がどのように変化したのか。
変化が問われているので,乱前と乱後とを対比して違いを明確化したい。

承久の乱以前=鎌倉時代初め
◦朝廷が国政を主導⇄鎌倉幕府が軍事警察を全国的にになう(武家としての役割を果たす)
◦朝廷=西国を基盤⇄鎌倉幕府=東国を基盤

承久の乱=後鳥羽上皇が北条義時追討を掲げて挙兵し,幕府側に敗北

◦幕府が朝廷より優位にたつ
例)幕府が皇位継承や朝廷の政治に介入
  幕府が上皇方所領を没収して地頭を新しく補任=西国で幕府の支配が強まる
  幕府が京都に六波羅探題を設置=朝廷を監視


<解答例>
鎌倉時代初め,朝廷が国政を主導し,鎌倉幕府がそのもとで武家としての役割を果たしつつも,朝廷と幕府はそれぞれ西国,東国に自立的な基盤をもっていた。ところが,承久の乱で幕府が後鳥羽上皇方に勝利すると,幕府が朝廷よりも優位にたった。幕府は乱の責任者である後鳥羽上皇らを配流し,天皇を交替させるなど,朝廷の政治や皇位継承に介入するとともに,上皇方所領に新しく地頭を補任して西国で支配を広げ,京都に六波羅探題を設けて朝廷の監視と西国御家人の統括にあたらせた。(224字)