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<解法の手がかり>
問われているのは,明治維新後の沖縄県設置にいたる過程。条件として,江戸時代における琉球王国の存在形態をふまえることが求められている。
江戸時代における琉球王国について。
江戸時代初めに琉球は,島津氏の進攻をうけてその支配下に置かれた。しかし,尚氏を国王とする独立国としてのあり方は存続し,中国(はじめ明,のち清)と朝貢・冊封関係を結ぶとともに,江戸幕府に慶賀使・謝恩使を派遣して異国として服属していた。
明治維新以後。
明治政府は,こうした日中両属状態にあった琉球王国を日本に併合することをめざした。
まず,琉球国王尚泰を琉球藩王に封じて琉球藩への名称替えを指示したうえで,外務省の管轄下においた。続いて,琉球の日本帰属を清に対して強調するため,台湾での琉球漂流民殺害事件を理由に台湾出兵を行った。清がこの行動を義挙と認めたため,明治政府は琉球の日本帰属が国際的に支持されやすくなったと判断し,琉球を内務省の管轄下に移して清への朝貢を禁じた。そのうえで,両属状態を望む琉球に対して軍隊・警察を派遣し,琉球藩および琉球王国を廃止し,沖縄県設置を強行した。
ところが,清は日本の琉球併合を認めず,琉球王国の旧支配層のなかには反発から清を頼って独立維持を策したものもいた。そうしたなか,グラント前米大統領による調停も失敗し,結局,日清戦争の講和条約である下関条約で台湾が日本に割譲されたことにより,沖縄の日本帰属が事実上確定した。
<解答例>
江戸時代の琉球は,薩摩藩の支配を受けつつも尚氏を国王とする独立国である一方,江戸幕府に使節を派遣して服属するとともに清国を宗主国と仰ぎ,日中両属状態にあった。それに対して明治政府は琉球の日本領への編入をねらい,廃藩置県後,国王尚泰を琉球藩王に封じるとともに,台湾での琉球漂流民殺害事件を口実として台湾出兵を行い,琉球の日本帰属を主張した。この出兵を清国が正当な行動と認めたため,明治政府は琉球藩および琉球王国を廃滅して日本に併合し,沖縄県を設置した。(225字)