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年度 2009年

設問番号 第1問


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【解答例】
1闘茶。茶を飲み比べ,茶の産地をあてあう賭け事。
2村田珠光。禅の精神を加味し,簡素・閑寂を精神とする侘茶を創出した。
3北野大茶会。千利休。
4平安時代末,平清盛とその一門の興亡の歴史を描いた軍記物で,平曲とよばれる琵琶法師の語りによって広められた。
5鎌倉時代末から南北朝動乱期に至る,この時代は,惣領制の解体にともなって各地の武士団が対立・抗争をくり広げ,全国的な動乱が展開した。その結果,武士による荘園・公領の侵害が進んで公家・寺社勢力が後退する一方,幕府による権限強化を背景として守護が領国支配を進めると共に,地方武士が国人一揆を結ぶなど,地域勢力の自立が進んだ。また,畿内やその周辺では,戦乱に対する自衛などから惣村とよばれる百姓の自治的結合も進んだ。
6幕藩制的社会秩序の安定を背景に,人びとはそれぞれの分限にかなった思想・行動が求められ,百姓など庶民にまで忠孝などの儒学的道徳が強調されていた。
(総計400字)


【解法の手がかり】
問1〜問4の文化史に関する設問は,コンパクトに説明すれば十分。問5と問6に字数を多めに配分したい。特に問5は,1988年千葉大(南北朝内乱の歴史的意義),2005年大阪大(南北朝内乱の中世に与えた影響)など,他大学に類題があり,もっとも書きやすいはずの設問であり,ここに字数をかけてよい。

問1
問われているのは,初期の茶の湯において流行した方式を一つ。
「方式」なので,茶寄合ではなく,闘茶を答えるのが適当。

問2
問われているのは,(1)将軍義政の頃に世に出て,新しい茶の湯の方式を創出した人物の名前,(2)それがどのようなものか。
(1)村田珠光。
(2)「それ」とは「新しい茶の湯の方式」を指すので,侘茶という名称を記すとともに,その内容を簡潔に説明しておけばよい(最低限:「簡素な茶の湯の方式」)。ちなみに,史料文中にヒントがある(「其根本は禅家隠遁者の体をうつして質素簡素を学びたる物也」)。

問3
問われているのは,(1)秀吉が「士庶人」の身分の別なく参加させて開いた茶会の名称,(2)それに参加した代表的茶人の名を一人
(1)北野大茶会
(2)千利休が答えれれば十分

問4
問われているのは,(1)『平家物語』はどのような物語であるか,(2)これがどのようなかたちで広められていったのか。
(1)軍記物語というジャンルとともに,何について書かれた物語であるかを簡潔に説明しておけばよい(最低限:「源平の争乱を描いた」)。

問5
問われているのは,『太平記』に描かれた時代,社会がどのように大きく変容したのか。
「『太平記』に描かれた時代」は鎌倉末〜南北朝期なので,鎌倉幕府滅亡・南北朝内乱にともなって社会がどのように変容したかを考える。
まず,この時代が全国的な動乱期であったことを,その背景・要因とともに説明し,そのうえで,公家・寺社勢力の後退,守護の領国支配や国人の成長など地域勢力の自立,(畿内などにおける)惣村の形成,の3点をすればよい。

問6
問われているのは,西川如見のいう「今の時世」とはどのような時世か。
まず,「今」を確定することが必要。
『百姓嚢』がいつ成立したかは知らないはずなので,西川如見がいつ頃の人物か,から判断する。山川『詳説日本史』の「おもな著作物」では化政文化にしか入っていないものの,本文では,洋学の説明のなかで「西川如見や新井白石が世界の地理・物産・民俗などを説いてその先駆けとなった」と書かれている点から,新井白石と同時代の人物だと考えればよい。
ここから,「今」とは17世紀末から18世紀初ころと想定できる。
次に,史料の内容を確認しよう。そこで西川如見は何を「教訓」として説いているのか?「べし」という語に注目すれば,次の2つの事柄が「教訓」として示されていることが分かる。
(1)「今の時世にしたがひ」→「をのをの分限に応じ,手を習ひ学問といふ事を,人に尋聞て,こころを正し,忠孝の志をおこすべし」
(2)「都て歴代の記録軍記は」「国を治め家をととのへ,身をたもち心を正して,上下安静ならしめんと也」→「慰の為とおもひては読むべからず」
そして,このうち,(1)の「教訓」が「今の時世」にしたがったもの,と述べられている点に注目すればよい。ポイントは「分限に応じ」と「忠孝の志」。