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年度 2000年

設問番号 第1問

テーマ 律令制下の駅制とその動揺/古代


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設問の要求は,駅が設置された目的。条件として,山陽道の駅馬が他の道に比べて多いことの背景にふれることが求められている。

資料文からデータを引き出そう。
(1)山陽道は都と大宰府を結ぶ道。
ここから,山陽道が他よりも重視されていた理由が推察できる。

(2)地方での反乱や災害・疫病の発生,外国の動向などを中央に報告する使者が駅馬を利用。
(3)中央で出された詔(公文書)を地方に伝達する使者が駅馬を利用し,食料の支給をうける。
(4)駅を利用する使者に対し,必要な食料の支給や宿泊の便宜を提供。
問題文に「都と地方を結ぶ道路が敷設され,駅という施設が設けられて」とあることも念頭におけば,駅は中央と地方との政治的な情報伝達をスムーズに行うために設置されていたことがわかる。駅は,中央政府の命令を迅速に諸国に伝達するとともに,大宰府にもたらされる対外情報や諸国の政務内容などを中央に伝達するために整備されたのであり,律令国家の中央集権的な全国統治を支えるための存在であった。

さらに,
(5)駅馬を利用する使者は位階に応じて利用できる馬の頭数が定められていた。
駅は,位階をもった人びと,つまり貴族・官人しか利用できず,位階をもたない農民など一般の人びとが利用できるものではないことがわかる。あくまでも官吏公用の施設であった。この点も答案のなかに活かしたい。

B 9世紀半ばころに駅子が逃亡するようになった理由。
駅子については資料文(4)で説明されている。駅馬の飼育に従事し,駅長とともに駅使の供給(必要な食料の支給や宿泊の便宜を提供すること)にあたった人びとである。
資料文(5)によれば,駅馬を利用する使者は,位階に応じて利用できる馬の頭数が規定されていたものの,9世紀前半には,都と地方を往来するさまざまな使者が規定より多くの駅馬を利用することが頻繁におこっていた。ここから駅子の逃亡を招いた背景を推察することができる。
ただ,そこでとどまらず,資料文(1)にある“駅は国司が監督責任を負った”というデータを活用したい。つまり,9世紀になると国司による監督が弛緩してしまっていることが,明示されない形で表現されていることを読み取りたい。国司による監督が弛緩してしまったからこそ,駅使が規定より多くの駅馬を利用するというような不法行為が横行するようになっていたのだ。
では,なぜ9世紀に駅に対する国司の監督(→国司による地方支配)が弛緩してしまったのだろうか?(このように問題を設定すると1996年第1問が関連問題として浮かんでくる)。答案としては“律令制の衰退”で十分だが,院宮王臣家(天皇と結ぶ少数の特権的な皇族・貴族)が地方の有力農民(富豪百姓)と結びながら私的な土地所有に走っていたことを想起したい。また,皇室のための直営田である勅旨田が各地に設置されたり(国司が開発・運営),皇族には天皇から賜田とよばれる田地が与えられるようになっていたことを思い出そう。特権的な皇族・貴族たちが天皇の権威や国家機構をよりどころに私領の形成にいそしんでいたのが9世紀である。


(解答例)
A駅は,中央集権的な律令国家の下,中央と地方の政治的な情報伝達を迅速に行うために設置された官吏公用の施設で,外交上の要衝大宰府と都を結ぶ山陽道は外国使節の往来もあり特に重視された。
B駅子は庸・雑徭を免除されたが,駅馬の飼育や駅使の供給などの労役があった。そのうえ,9世紀に入ると,律令制の衰退に伴って駅に対する国司の監督が弛緩し,駅使による規定以上の駅馬利用が横行した。そのため,駅子の負担が過重となり,逃亡が続出した。
【添削例】

≪最初の答案≫

A中央集権体制を基本とする律令体制のもとでは、都・地方間で迅速に情報が伝達される必要があった。中でも大宰府は外交の拠点であったため、大宰府と都とを結ぶ山陽道の駅は特に重視された。

B駅使は庸と雑徭は免除されたものの租・調などの負担は残っており、馬の管理も行わなければならなかった。それに加え、官人への食料の供給や、自分自身の食料の問題もあり、実質的な労働の負担は相当重いものであったため、駅子は逃亡したと考えられる。

> 中央集権体制を基本とする律令体制のもとでは、都・地方間で迅速
> に情報が伝達される必要があった。中でも大宰府は外交の拠点であ
> ったため、大宰府と都とを結ぶ山陽道の駅は特に重視された。

駅の設置された目的についての記述が,やや設問の要求に直接対応した形になっていない点がややひっかかりますが,内容的には適切ですので,問題ないでしょう。ただ,本番入試の採点ではどうかと言うと,これは分かりませんので,できる限り,設問の要求に直接対応する形(「……情報が伝達される必要があったため駅を設置した」など)で記述するのが安全です。


> 駅使は庸と雑徭は免除されたものの租・調などの負担は残っており、
> 馬の管理も行わなければならなかった。それに加え、官人への食料
> の供給や、自分自身の食料の問題もあり、実質的な労働の負担は相
> 当重いものであったため、駅子は逃亡したと考えられる。

内容について。
「実質的な労働の負担は相当重いものであった」とまとめているのは適切なのだが,それは何を受けての表現なのかが,文章構成上,やや曖昧。馬(駅馬)の管理や官人(駅使)の供給(必要な食料の支給や宿泊の便宜を提供すること)を受けてのまとめであることをはっきりさせたい。

そして,この答案では資料文(5)が利用できていない。そこでは,駅使による規定以上の駅馬利用が横行するようになったことが示唆されており,それと駅子の逃亡との関連も答案のなかで説明しておかないとダメ。
なお,「自分自身の食料の問題」については触れる必要はない。