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年度 2001年

設問番号 第2問

テーマ 鎌倉時代の荘園と地頭/中世


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設問の要求は,地頭がもっている荘園支配の権限について,東国と西国とで比較すること。

さて,東国と西国で何が異なるのか。
まずは資料文を参照してみよう。
資料文(1)は上野国新田荘についての記述だから,東国での事例。そこでは地頭に任じられたものは開発領主の子孫であることがわかる。つまり,本領安堵のケースである。
次に資料文(2)。これは丹波国大山荘についての記述だから,西国での事例。
そこでは,「承久の乱後に任命された地頭との間で」と記されており,丹波国大山荘では承久の乱後に地頭が任じられたことがわかる。つまり,新恩給与のケースである。

しかし,資料文(1)(2)を傍証として,東国=本領安堵の地頭,西国=新恩給与の地頭,という風に特徴づけることができるのだろうか。もちろん,東国には本領が多く,西国に新恩が多いことは事実であるが,東国にしても平氏や奥州藤原氏に加担した謀叛人跡に地頭が置かれているし,逆に西国でも本領安堵をうけて地頭に任じられるケースもある。つまり,東国=本領安堵,西国=新恩給与と特徴づけて説明することには無理がある。

なお,本領=下地支配権が強い,新恩=下地支配権が弱い(ない),とも言い切れない。
なにしろ,新恩給与の地頭設置は,御家人による敵方所領(謀叛人跡)の軍事占領(とその永続化)であったため,本所の権限を大きく侵害することが多く,本所との間で紛争が生じやすかったのである。だからこそ,新恩の地頭は前任者の職権・得分を継承するという形で設置されていたのであり,承久の乱後に新しく補任された新補地頭については(宣旨により)得分率を定め,そのことによって地頭の行動をその枠内に抑制・限定し,本所との共存・協調がはかられていたのである。

となると,東国=幕府の支配領域,西国=本所の支配が尊重された地域,と特徴づけたうえで,そのもとでの地頭の権限を考えるのが適当と言える。そして,教科書で,地頭の権限について東国と西国で内容が異なっていたことは明記されておらず,また資料文でもそれに関するデータが示されているわけでもないことを考えたら,荘園支配の権限の内容については強弱の程度レベルにとどめておいてよいだろう。


設問の要求は,西国で荘園領主と地頭の間で生じた問題とその解決策。

資料文(2)…丹波国大山荘で地頭請の契約
資料文(3)…伯耆国東郷荘で下地中分

2つとも西国での事例なのだから,これを答案に活用しよう。ただし,そこに記されているのは“解決策”のみ。その前提としての荘園領主・地頭間の懸案については,自分の知識にもとづいて説明してほしい。
背景…全国支配権を強化した幕府の権威,朝廷よりも優位にたった幕府の権威
懸案…地頭の非法や荘園侵略が活発化


設問の要求は,荘園でどのような産業が展開していたか。条件として,資料文と図からデータを読み取ることが求められている。

資料文で活用できるのは(2)のみ。そこでは,荘園領主への貢納品のなかに,米や麦の他,栗,干柿,くるみ,干蕨,つくしなどが含まれていることが述べられている。
そこから推理できるのは,
 米と麦の二毛作
 山野の産物の採集
が行われていたこと。

次に図からデータを読み取ろう。そこに,馬や船が描かれているに気づいただろうか。 そのうち,船は何に活用されたのか。漁業か水運か?図の下部に「大湊宮」という文字があることに注目すれば,この荘園には「湊」が存在したこと,つまり水運業(海運業)が展開していたことを類推することが可能だ。


(解答例)
A東国は幕府の支配領域で,本領も多く,強い権限を握った。西国は新恩の地頭が多く,本所の支配が尊重され,権限は抑制された。
B地頭が年貢横領など非法を活発化し現地の支配権をめぐって荘園領主と対立したため,地頭請や下地中分で両者の調停が図られた。
C米と麦の二毛作,周辺の山野河海を利用した栗・柿などの採集,馬の飼育,漁業が営まれたほか,水上輸送業者も往来していた。
【添削例】

≪最初の答案≫

A東国では,地頭で下地支配権を持つ本補地頭が多く,西国では,下地支配権を持たない新補地頭が多かった。

B地頭が荘園領主に年貢を納めなかったため,地頭が定額納入を請け負う地頭請や土地を折半する下地中分などの解決策がとられた。

C 全く何を書いていいか見当がつきませんでした。

第二問のAで資料から『本領安堵』を読み取るのがキツかったです。

> A東国では,地頭で下地支配権を持つ本補地頭が多く,西国で
> は,下地支配権を持たない新補地頭が多かった。

もともとこの設問はあまり適切な出題じゃありません。
なにしろ,東国については資料文(1)で本領安堵の事例を示すだけで,西国は資料文(2)で承久の乱後に地頭が設置された事例を示しているにすぎず,それらの資料文だけでは東国と西国の地頭がもった荘園支配の権限の違いについてのヒントは皆無に等しいです。もしかすると出題者は,東国を本領安堵の地頭で代表させ,西国を新補地頭で代表させる形で答案を作成することを求めているのかもしれないが,東国には新恩給与の地頭も存在し,西国には本補地頭も存在する。もしそれらを捨象して答案を書かせようと言うのであれば,出題者の知的怠慢というしかない。
まぁ,河合塾など「本補地頭・新補地頭の区別がつけばよい」と言い切っているし,君の答案でとりあえずOKでしょう。

なお,
> 第二問のAで資料から『本領安堵』を読み取るのがキツかったです。
というのですが,資料文(1)では
 上野国新田荘は,新田義重が未墾地の開発を進め,既墾地とあわせて中央貴族
 に寄進して成立した。のち義重の子息は地頭職に任命された。
とあります。新田荘の地頭職に任じられた人物は,最初に開発を進めた人物(新田義重)の子息だというのですから,先祖伝来の所領を安堵される本領安堵のパターンなわけです。

> B地頭が荘園領主に年貢を納めなかったため,地頭が定額納入を
> 請け負う地頭請や土地を折半する下地中分などの解決策がとられ
> た。

荘園領主と地頭の間に生じた問題については,“年貢未納”という一つの具体例だけに留めるのではなく,地頭の“荘園侵略”・“非法”という表現で一般化することが必要です(「年貢を納めないなどの荘園侵略(非法)」くらいの表現でよいのだが)。なにしろ,“年貢未納”という問題しか生じなかったようにも読めますから。
あとはOK。

> C 全く何を書いていいか見当がつきませんでした。

問題は鎌倉時代の荘園についての出題なのだから,まず“鎌倉時代の経済・産業”について教科書のデータを整理してみること!

このCだけやり直してみてください。

≪書き直し≫

C米や麦の二毛作,山野での食物の採集,馬の飼育,漁労,などが行われ,また,水運も盛んだった。

あと,設問Aで下地支配権とあるんですが,具体的にはどういう権限なんでしょうか?? ちょっとイメージが湧きにくいので・・・お願いします。

OKです。

> あと,設問Aで下地支配権とあるんですが,具体的にはどういう権限なんでしょうか??
> ちょっとイメージが湧きにくいので・・・お願いします。

「下地」というのは,“下地中分”という表現から推測がつくと思うのですが,荘園の土地そのものを指しますが,では「下地を支配する権限」とは何かというと,土地の面積を確定したり,百姓が逃亡したり絶えた場合にはその土地を他の百姓にわりふったりする土地管理の権利のことで,荘園経営の中心的な権限です。
なお,実のところ,開発領主であり,荘園の寄進主だからといって,荘園として認可された全地域に対して下地支配権を有していたわけではありません。基本的には荘園領主(本所)が掌握しており,寄進の際に下地支配権を留保した場合だけ,開発領主=荘官層がもっていました。