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年度 2001年

設問番号 第3問

テーマ 近世後期の農村社会の変化/近世


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設問の要求は,史料で述べられている変化が生まれた背景。条件として,化政文化の特徴にもふれることが求められている。

まずは,史料の内容把握から。
(1)村のほとんどの人間が読み書きできるようになった=識字率の向上
(2)学問,俳諧,和歌,狂歌,生け花,茶の湯,書画などを学ぶ人が多くなった=学問・教養を身につけることの流行
この2点が史料で述べられている変化であるが,これらの内容を把握するだけでなく,「そのころは村の人々に余裕がなかったためか,学ぶことは流行しなかった」という表現にも注意しよう。そこには“変化”の背景が示唆されている。

では,どのようにして村の人々に余裕ができるようになったのか。そのことから考えていこう。
史料は,1840年代に書き留められた記録の一部なのだから,19世紀前半(文化・文政期)における経済発展を想起すればよい。
18世紀後半以降,農村では商品作物の栽培を中心とする商業的農業がいちじるしく発展し,さらに商品作物を農村内部で集荷・加工する動きも進む。そして,19世紀前半には,文政金銀の鋳造で通貨流通量が増加したこともあいまって,商品経済はさらに大きく発展した。そして,農業経営を拡大したり商売に成功した豪農や在郷商人(在方商人)が現れるし,また農村への行商人の出入りも頻繁となる。さらに交通の便がよい在郷町(在方町)を中心に地域市場が生まれていく。
この結果,農民たちの経済的余裕が生じ,寺子屋が普及して識字率が向上する(動機は?)と共に,さまざまな行商人や出稼ぎから戻ってきた人びとが江戸の情報や文化を伝え,それに影響されて,学問や教養を身につけようとする農民たちの意欲も高まっていた(農民層の分解,村の共同体秩序の動揺という側面についても注意しておきたい)。

次に,“化政文化の特徴”を確認しよう。
化政文化といえば,江戸の人口の大半を占める中下層の町人を主役とする文化だが(1992年第3問を参照),それではこの設問(農村での文化)と関連が見出せない。“江戸の文化をうけ入れながら各地方で地域独自の文化が育まれた”という特色もあることを思い起こしたい。それが,史料に書き留められた農村の状況でもある。


(解答例)
19世紀前半には,商業的農業や農村工業の発展を背景として農民の経済的余裕が生じ,寺子屋が普及して識字率が向上した。さらに豪農や在郷商人が台頭し,地域市場が生まれて行商人の往来も頻繁になり,江戸など都市と農村との交流が活発化した。その結果,江戸の町人文化・学問を受け入れながら,地域独自の文化が育まれた。
【添削例】

≪最初の答案≫

江戸時代後期になると,都市に住む人々の生活が豊かになり,町人文化が栄えた。商人などの交流や出版・教育が盛んであったため,歌や生け花・茶などの都市の文化が地方に広まっていった。その中でも教育分野では各地方に藩学や私塾が設立され,初等教育も寺子屋によって徹底された。

設問の要求にこたえてません。もう一度設問を読み直すこと。

答案を作成するにあたっては,まず史料で述べられている“農村の変化”とは何なのかを整理したい。次に,その背景を考えていくのだが,その際,史料のなかで指摘されていることがらにも注目しよう。史料では,以前は「村の人々に余裕がなかったためか,学ぶことは流行しなかった」と書いてあるのだから,1840年代には村の人々に余裕ができるようになったため学ぶことが流行するようになったのだと筆者が考えていることがわかる。では,なぜ村の人々に余裕ができるようになったのか。まずこれを答案のなかで説明しておかなければ,設問の要求にこたえたことにはならない。

さて,君の答案では「都市に住む人々の生活が豊かになり」と都市の状況を説明しているが,求められているのは,都市ではなく農村の状況である。
また,そのような説明のあとに「商人などの交流や出版・教育が盛んであった」と述べてしまえば,それもまた都市の状況についての説明でしかない。しかし,求められているのは,都市ではなく農村の状況である。(なお,「商人などの交流」は“農村の変化”の背景の説明として妥当。)
「藩学」は武士のみを対象とする教育機関であり,この設問とは無関係。
「初等教育も寺子屋によって徹底された」とあるが,それが史料で述べられている“農村での変化”とどのように関連するのかが不明。そこまで説明してほしい。

≪書き直し≫

19世紀になると,農村では商品作物の栽培や農村工業の発達によって都市との間で商品流通が活発化し,商人などによって都市の町人文化が伝えられた。また,農民の間では経済的余裕が生じ,寺子屋を経営するものもあらわれた。これらを背景に農村では文字や都市の文化を受け入れた独自の文化が生まれた。

内容的にはだいぶんよくなりましたが,文章構成上からいって修正した方がよい点があります。 「農村では商品作物の栽培や農村工業の発達によって」という部分は,(1)「都市との間で商品流通が活発化し」たことだけでなく,(2)「農民の間では経済的余裕が生じ」たことの背景でもあるわけでしょ?だったら,その関係がよりわかりやすい文章構成にすべきです。
また,「寺子屋を経営するものもあらわれた」と述べているが,資料文では
 以前,たいへん博学な寺の住職が隠居した後に,儒教の書物などを教授すること
 はあったが,そのころは村の人々に余裕がなかったためか,学ぶことは流行しな
 かった。
とある。“寺子屋の経営”ではなく“寺子屋の普及”にポイントがあるのではないか?

もう一度,文章構成を見直して答案を作り直してみて欲しい。

≪書き直し2回め≫

19世紀になると,農村では商品作物の栽培や農村工業の発展などによって,農民に経済的余裕が生じ,また,商品流通の活発化に伴い,商人などを介して,都市の町人文化が流入した。同時に初等教育機関である寺子屋が普及し,農民の識字率も向上した。これらを背景に農村でも,地域独自の文化が形成された。

今度は,「農民に経済的余裕が生じ」たことと「寺子屋の普及・識字率の向上」との関連が見えなくなっている。
君の文章を活かしてその関連をつけるとすれば,次のように修正できます(やや字数が短いですが)。
「農村では商品作物の栽培や農村工業の発展などを背景に,農民に経済的余裕が生じ,寺子屋が普及して農民の識字率が向上すると同時に,商人などを介して農村と都市の交流がさかんになった。その結果,農村でも,江戸など都市の町人文化の影響を受け,地域独自の文化が形成された。」