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年度 2006年

設問番号 第2問

テーマ 院政期における武士の進出/中世


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問われているのは,中央政界で武士の力が必要とされた理由。
設問では指定されていないが,資料文では(1)〜(3)を参照し,活用したい。

ところで,武士とは武装し,その武力を行使すること(つまり軍事警察の権能を担うこと)を朝廷から認められた職能身分だが,ここではそのように規定される武士そのものが登場した背景・理由が問われているわけではない。資料文を読んだ上で答えることが求められているのだから,少なくとも資料文(1)〜(3)を参照し,そこで触れられている時期に対象を限定して説明していきたい。したがって,<都での治安悪化→検非違使などへ登用>というような武士発生期における事例は,答案のなかに含める必要はない。

さて,資料文(2)と(3)から,院政期には
寺社の僧兵(悪僧)による強訴が頻発したことに対し,朝廷が対応に苦慮していたこと
貴族社会では治天の君や藤原氏の氏長者の地位をめぐって天皇家,摂関家が内部抗争を繰り広げていたこと
がわかるが,そうした問題を武力でもって解決するため,武士の果たす役割が中央政界で大きくなったことがわかる。
これで答案が書けそうだが,注意してほしい。資料文(1)を活用しなくてもよいのか? 設問Bで使えそうになく,そうなれば設問Aで活用するしかない。
資料文(1)には,「院政期には,荘園と公領が確定される動きが進み,大寺社は多くの荘園の所有を認められることになった。」と書かれているが,ここから2つのデータを読み取ることができる。1つは「荘園と公領が確定される動きが進」んだこと,つまり,荘園と公領が領域として区別されるようになり(荘園に即して言えば,地域的なまとまりをもつ領域型荘園の形成),荘園公領制の形成が進んだこと。もう1つは大寺社が多くの荘園を所有したこと。
ここから,荘園と公領の境界・領域をめぐる紛争が,寺社の僧兵による強訴を頻発させていたことを想起したい。より一般的に表現すれば,荘園公領制の形成にともなって権力者が私的な勢力へと転化し,相互に実力で抗争しあう社会となったことを思い浮かべたい。
この点をも,なんらかの形で答案に盛り込んでおきたい。


問われているのは,1.平氏が権力を掌握する過程と,2.その経済的基盤。

まず平氏が中央政界で台頭するに至った経緯から。
平氏は院に接近し,院の近臣として中央政界に登場し,瀬戸内海地域を中心として西国武士を家人に組織して軍事力とした。
そして平清盛の代になり,保元の乱・平治の乱を通じて中央政界での地位を高めていく。保元の乱では後白河天皇方を勝利に導く軍事力の一つでしかなかったのが,平治の乱では藤原信頼・源義朝の挙兵を鎮圧し,政界の動向を左右する力を示すことになる。
このように院の近臣として台頭し(平治の乱時は二条天皇に近い存在だったとの評価もあるが),その軍事力でもって貴族社会の内紛を解決することを通じて政界での地位を高めていったのが平氏であった。

次に平治の乱後に権力を掌握する過程。
何をもって「権力を掌握」した状態と考えるのか?
平氏政権の特徴(しばしば「貴族的性格」と称される面)としてしばしば指摘されることがらを念頭におけば,天皇家との婚姻関係を形成し,一門で高位高官を占めた状態をもって権力掌握と考えておいてよい。
とすれば,平清盛が太政大臣に就任したこと,嫡男重盛など一門で高位高官を占めたこと,娘徳子を高倉天皇に入内させて外戚政策を進めたことを指摘しておきたい(とはいえ,あまり具体的に書き過ぎると字数内に収まらないが)。

もっとも,平清盛が後白河法皇を幽閉し,その院政を停止させたことをもって平氏政権の確立,平氏による権力掌握ととらえることもできる。その点,この設問は設定がやや曖昧で,この視点にたった解答例の作成も可能。

最後に経済的基盤。
資料文(4)・(5)を経済的基盤との関連で把握すれば,瀬戸内海水運を掌握し((4)),日宋貿易を推進した((5))ことをデータとして引き出せる。
それ以外に荘園・知行国を集積していたことも忘れないようにしたい。


(解答例)
A荘園公領制が確立するなか,荘園の境界や支配権をめぐる寺社の僧兵による強訴が頻発し,天皇家や摂関家の内紛も激化したため。
B院に接近して台頭した平氏は,西国武士を家人に組織し,保元・平治の乱を通じて地位と権力を高めた。清盛の太政大臣就任など一門で高位高官を占め,天皇との外戚関係も形成した。荘園・知行国を集積するとともに瀬戸内海水運を掌握して日宋貿易を推進した。
(別解)平氏は保元・平治の乱を通じて地位を高め,清盛の太政大臣就任など一門で高位高官を占めた。そして天皇との外戚関係を確保し,後白河院政を停止して権力を掌握した。経済面では瀬戸内海水運を掌握して日宋貿易を推進し,荘園・知行国に並ぶ経済基盤とした。