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年度 2006年

設問番号 第3問

テーマ 中近世の琉球/中世・近世


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設問で問われているのは,15世紀に琉球が海外貿易に積極的に乗り出した理由。条件として,中国との関係をふまえることが求められている。

まず15世紀当時の中国が明王朝であったことはよいだろうか。それが思い浮かべば,当時の東アジアには明を頂点とする国際秩序が成り立っていたことも思い浮かぶだろう。その国際秩序は次のようなものであった。
ア 明は海禁政策をとって私貿易(中国人の海外渡航)を禁止
イ 明との貿易は朝貢形式(国王が明皇帝に朝貢し,その返礼として品物を受け取るという形式)に限定

こうした国際秩序のもとで,15世紀の琉球は東アジア・東南アジア諸国間の中継貿易に活躍していた。つまり,設問にいう「海外貿易」とは,こうした中継貿易である。

これらのことを念頭におけば,この設問は琉球が中継貿易に積極的に乗り出した理由を,明を頂点とする国際秩序と関係づけながら説明すればよいことがわかる。

実教出版の『日本史B』では,「明では海禁政策をとって,中国人の海外渡航を禁じたため,15世紀の東アジア海域には琉球船の自由な中継貿易の活躍舞台がひらかれた」と端的に説明されているが,宋代以来,中国を中心とする東アジア通商圏が形成され,その主たる担い手が中国商人であったことを念頭におけば,琉球が中継貿易に活躍できた背景が,a 明の海禁政策,b 琉球が明と朝貢関係をもっていたこと(ついでに言えば,他の諸国と比べて琉球の入貢頻度が高かったこと)にあったことがわかるだろう。
つまり,海外渡航を禁じられた中国商人の役割を代替したのが琉球の海外貿易だったのである。


設問で求められているのは,架空の話によって琉球王府が(フランスに対して)隠そうとした国際関係。条件として,歴史的経緯を含めて説明することが求められている。

史料では架空のトカラ島について,次のように説明されている。
「朝貢品や中国で売るための輸出品は,当国に隣接している日本のトカラ島で買う以外に入手することはできません。その他に米,薪,鉄鍋,綿,茶などがトカラ島の商人によって日本から運ばれ,当国の黒砂糖,酒,それから福建からの商品と交換されています。」
ここで述べられているのは,
a 朝貢品・輸出品を日本のトカラ島で入手
b トカラ島の商人が米・薪などの商品を日本から持ち込み,黒砂糖や中国で得た商品などと交換
という2つの事柄であり,薩摩藩(や江戸幕府)との関係が述べられていない。つまり,琉球が薩摩藩の征服をうけ,その支配下にあったことが隠されている。この点を歴史的経緯を含めて説明すればよい。
その際,b(特に後半部分)を意識すれば,「島津氏は,琉球の朝貢貿易を支配して利益をあげるとともに,産物の砂糖の上納を強制するなどのきびしい負担をかけた」(実教出版『日本史B』),「薩摩藩は琉球産の黒砂糖を上納させたほか,琉球王国と明(のちに清)との朝貢貿易によって得た中国の産物もおくらせた」(山川出版社『詳説日本史』)という点も答案に盛り込みたい。


(解答例)
A明に入貢した琉球は,明の海禁政策により海外渡航を禁じられた中国商人に代わり,中継貿易で利益をあげることができたため。(59字)
B琉球は17世紀初,島津家久の進攻をうけて以降,独立国の体裁を残し,中国との朝貢・冊封関係を継続しつつも,薩摩藩の支配をうけていた。中国貿易の管理権を握られたほか,産物の黒砂糖の上納を強制され,江戸幕府へは謝恩使や慶賀使を派遣させられていた。
(別解)琉球は17世紀初,島津家久の進攻をうけて以降,独立国の体裁を残しつつも,薩摩藩を通じて江戸幕府の支配下に組み込まれていた。薩摩藩に中国貿易の管理権を握られたほか,産物の黒砂糖の上納を強制され,江戸幕府へは謝恩使や慶賀使を派遣させられていた。