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年度 2008年

設問番号 第1問

テーマ 古代国家と東国/古代


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古代国家にとっての東国の役割も,古代の内乱の傾向も,教科書には説明がない。したがって,ともに資料文から内容を判断するしかない。


問われているのは,古代国家にとって東国が果たした役割。
古代国家=朝廷にとっての東国の役割に触れているのは,資料文では(1)・(3)・(5)。

資料文(1):6世紀
国造…子弟を舎人として大王のもとに出仕させる

資料文(3):大宰府や防人がある時代=律令制
防人…全て東国の諸国から徴発 → 「前の時代の(中略)あり方」が残っていたと考えられる
前の時代の国造…自ら兵力を率いる
 何のために? → 「前の時代の(中略)あり方が残っていたと考えられる」という資料文の表現からすれば,北九州防備にあたるため,と推論できる。

資料文(5):聖武天皇の時代
天皇の親衛隊(兵衛)…東国出身者が中心「であったらしい」

これらのうち資料文(3)と(5)からは,東国が古代国家にとって重要な軍事基盤,軍事力の重要な供給源であったことが分かる。そして,東国出身者が担うのは,北九州の防備と天皇の護衛という2つの職務であることが分かる。もちろん,これ以外にも東国出身者が中心となって担った職務があるかもしれないが,資料文にもなく,この2つに限定して考えてよい。
ところで,資料文(1)の「舎人」とは何か?
資料文(2)で「前の時代の国造に率いられた兵力のあり方」と律令制下の「防人」が同じ系譜のものとして位置づけられていることに注目すれば,この「舎人」は資料文(5)の「天皇の親衛隊」に系譜的につながるものと推論することができる。

もう一つ,資料文(2)にも注目したい。
これは壬申の乱で朝廷に対して反乱した大海人皇子の行動についての記述であるが,東国の兵をどちらかが掌握するかが勝敗の帰趨を分けたという意味では,設問Aでも活用できるデータである。


問われているのは,律令国家が内乱にどのように対処しようとしたか。条件として,古代の内乱の傾向を踏まえることが求められている。

まず,条件から見ていこう。
「古代の内乱の傾向」と言われても,具体的に何を思い浮かべてよいのか迷うところだが,まずは資料文にどのような情報が示されているかを確認しよう。内乱に関係するのは(2),(6)である。

資料文(2)
朝廷に対して挙兵した大海人皇子
○「東国の兵を集結」
○「不破の地を押さえ」る

資料文(6)
反乱を起こした藤原仲麻呂
○「越前に向かおうとした」

この2例に共通しているのは,次の2点である。
○畿内において朝廷に対して反乱を起こした者の事例
○反乱者は東国に入る(入ろうとする)

ここから,まず「古代の内乱」と言っても,出題者は,畿内で発生した内乱に限定して考えることを求めていることが分かる。そして,この限りでの「古代の内乱」は,東国に入るという傾向をもっていることが推論できる(平城上皇の変でも,平城上皇・藤原薬子らは東国へ入ろうとした)。その根拠は,設問Aを想起すれば分かるだろう。

次に,こうした傾向をもつ「内乱」に対して律令国家がどのように対処したか,である。 資料文(4)
○不破(美濃)・鈴鹿(伊勢)・愛発(越前)にそれぞれ関を設置
○長屋王の変や天皇の死去など国家の大事が発生→三関を閉鎖

ここから,
第一に,東国の領域が,美濃・伊勢・越前より以東であったことが推測できる。
第二に,不破・鈴鹿・愛発が畿内から東国へと向かう要衝であったことが分かる(このうち,不破と愛発については,資料文(2),(6)からも同様のことが分かる)。
そして,内乱への律令国家の対処としては,このような畿内から東国へ入る要衝に関を設置したこと,内乱が起こる可能性が生じた場合には関を封鎖して通行を遮断したことが分かる。
なお,このときの「通行」が畿内から東国への通行であることは,先に確認した「内乱の傾向」および資料文(6)[藤原仲麻呂の行動が愛発関で阻まれたこと]から判断できるはずである。実際,不破関跡の発掘により,西方に対する防備を固める形で作られていたことが判明しており,東国から畿内への兵力の侵入を防ぐという目的で設けられたわけではない。

なお,山川『詳説日本史』では,口絵の「資料をよむ −長屋王の変を探る」のなかに次のような記述がある。
「三関の位置を地図で確認し,これらの関の守りを固める意味を考えてみよう。それは反乱を企てるものが東北や北陸におもむいて兵を集めるのを防ぐためで,この事件(引用者注:長屋王の変)が国家にとっての非常事態の発生を意味していたことがわかる」。(「東北」は,東国もしくは東海の誤植ではないかと思われる)


(解答例)
A東国の豪族の子弟が大王・天皇のもとに出仕して護衛を務めたうえ,東国の兵力は北九州の防備に活用され,内乱の勝敗を決する重要な要因となるなど,古代国家にとって重要な軍事基盤であった。
B古代では反乱者は東国に移り,その兵力を基礎に朝廷に対抗しようとした。そこで畿内から東国へ入る要衝に関を設置し,政変などで内乱が起こる可能性が生じると,関を閉鎖して通行を遮断した。