過去問リストに戻る

年度 2010年

設問番号 第2問

テーマ 中世の年貢品目の変化と商品流通の発展/中世


問題をみる


問われているのは,畿内・関東・九州の年貢品目に認められる地域的特色。

「(1)の表から読みとれるところを(中略)述べなさい」と限定づけられているので,表を対比しながらそれぞれの特色を抽出すればよい。
畿内:米が大半を占めているが,油もそれなりに存在する(特に山城・大和)。
関東:麻・絹の順で多く,それに綿(真綿)が続く。そして,畿内・九州に比べて米がほとんどない。
九州:米が大半を占めている。絹も地域により多いが,九州全体でみると偏りがありすぎるので九州の地域的特色とはいい切れない。

最低限必要なのは,どのような品目が中心であるか,である。そのうえで,荘園・公領の領主が集住する京都・奈良までの輸送ルートに注目し,そこからうかがえる地域的特色を書いておくとよい。
畿内:京都・奈良に近く輸送コストがさほどかからない→米や油といった重量のある物品で納めることが可能。
関東:東海地方までは水運を活用できるが,東海地方から京都・奈良へ運ぶには山越えの陸路をとらざるをえず,輸送コストがかさむ→絹・麻・真綿といった軽量の物品が中心。
九州:瀬戸内海海運を使って畿内まで運ぶことが可能→米という重量のある物品で納めることが可能。

なお,各地の産業における地域的な特色に注目した解答も可能(→別解)。ただし,畿内で絹織物や真綿,麻織物の生産がほとんど行われていない,とか,関東地方では米作がほとんど行われていない,といった想定は難しいだろう。


問われているのは,(1)の年貢品目が鎌倉時代後期にどのように変化したか。条件として,(2)の史料を参考にすることが求められている。

(2)の史料は,「年貢代銭」と書かれている点に注目すれば,年貢の代銭納が行われていることを示す史料であることが分かる。
このことを念頭に答案を作成すればよいのだが,注意すべきは,「年貢品目」の変化が問われている点である。したがって,「現物」から「銭貨(銅銭)」への変化を指摘しておきたい。


問われているのは,室町時代に(3)のような大量の商品が発生した理由。条件として,(1)と(2)の内容をふまえることが求められている。

まず資料文(3)が「摂津国兵庫」港に入港する商船が積載していた品物であることに注目したい。これらの品物は,どこからどこへ向けて運ばれた品々だと想像できるか? 兵庫(かつての大輪田泊)に注目すれば,九州・中国地方から(あるいは大陸から)京都や奈良などへ向けて運ばれた品々だと推論できる。
そして,資料文(3)から,こうした品々のほとんどが「商品」として運ばれていることが分かる。つまり,京都や奈良に運ばれてから「商品」として市場に出回るのではなく,「商品」として兵庫を経由して京都や奈良という市場に運ばれている,というのである。
では,これらの「商品」は流通のどこ段階から「商品」としての性格を帯びていたのだろうか?
ここで注目したいのが条件である。資料文(1)と(2)の内容をふまえることが求められている。
資料文(1):平安末から鎌倉にかけて,(資料文(2)との対比でいえば)さまざまな現物が年貢として京都・奈良などの荘園領主のもとに送られている。
資料文(2):鎌倉後期には,銭貨が年貢として京都・奈良などの荘園領主のもとに送られている。
この両者から,室町時代には,以前に年貢として貢納されていたさまざまな現物が地方で換金され,銭貨を年貢として納入する代銭納が一般化していた,と推論することができます。では,地方で換金された旧来の年貢物は,どこへ送られ,誰によって消費されたのだろうか。

このように考えてくれば,年貢の代銭納が広まったことを背景として,旧来の年貢物が地方で換金され,京都・奈良での消費(需要)に応えるため,「商品」として京都・奈良などへと流通していた,と考えることができる。
なお,これは,『東大の日本史25カ年』の1995年度第2問の解説のなかで〔発展〕としてすでに説明しておいた事項である(『新体系日本史12 流通経済史』のなかの,桜井英治「中世の商品市場」を参照)。


(解答例)
A年貢輸送に便利な畿内は米や灯油,水運を活用する九州は米が中心で,陸路をも使い輸送コストの高い関東は繊維製品が主である。
(別解)米作が広がる畿内や九州は米が中心で,灯油生産の発達した畿内は油も多かった。一方,畑地の多い関東は繊維製品が中心である。
B地域の特色に応じた多種多様な現物に代わり銭貨が一般化した。(30字)
C年貢の代銭納が広まったため,それまでの年貢物が地方で換金され,大消費市場である京都・奈良などへ商品として廻送された。(59字)