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年度 2012年

設問番号 第2問

テーマ 院政期から鎌倉時代にかけての仏教の動向/中世


問題をみる

院政期から鎌倉時代にかけての仏教に関する出題だが,僧侶による勧進という行為に注目した問題である。Aでは中下級貴族の奉仕による造営との対比,Bでは専修念仏との対比を通じて,勧進が社会的・心理的な不安の解消,民衆救済につながるものであったことをクローズアップさせている。


問われているのは,(1)と(2)の,寺院の造営の方法における理念のうえでの相違点。

寺院造営の理念ではなく,造営方法の理念がテーマである点に留意が必要だが,まずは造営の方法を確認しよう。
資料文(1):
法勝寺など,天皇家によって建立された大規模な寺院を建立するための費用は,奉仕する中下級貴族(受領ら)の成功などによって調達された。
資料文(2):
東大寺を再興するための費用は,勧進上人重源の活動を通じ,さまざまな人々から「寄付や支援を募」ることによって調達された。
ここから,(1)が天皇家に対する中下級貴族の奉仕によって造営されたのに対し,(2)がさまざまな人々の寄進や支援のもとで造営された,という相違点を確認することができる。しかし,ここで考察を止めてしまうと,「理念」とその違いを説明することはできない。

では,以上に見られる造営の「方法」のなかに,どのような理念を読み取ることができるのか。
そこで注目したいのが,(2)の「勧進」である。
勧進とはもともと,仏教の教えを広め,信仰を勧める活動であり,そのなかでは,寺院・仏像の造立や,道路・橋の修造といった社会事業に参加することが人々に勧められていた。造寺・造仏や社会事業に参加することは,参加の仕方がどうであれ,仏法と縁を結び(結縁),将来における救いをもたらす作善(善行を積むこと)だ,と説かれていたのである。
つまり,僧侶の勧進活動によって寺院造営や社会事業などを実現することは,人々の社会的,心理的な不安感をやわらげるとともに,仏教を通じて人々の意識を秩序づけ,統合する役割を果していた。ここに,勧進という方法の理念を見ることができる。
これとの対比のなかで(1)の方法(中下級貴族の成功)の理念を考えるとどうか?
成功が上皇ら天皇家と中下級貴族(受領ら)の間にある私的な保護・奉仕関係に基づく行為であったことを考えれば,(1)の方法は,中下級貴族による,宗教的な活動という形をとった経済的な奉仕であり,その忠誠心を示し,上皇ら天皇家の歓心をかう行為であった。
このような,造営の方法の根底にあるものを明示しておきたい。


問われているのは,①鎌倉時代におこった法然や親鸞の教えの特徴,②それに対応して旧仏教側が展開した活動。

まず,①について。
法然と親鸞の2人が取り上げられているものの,「それに対応して旧仏教側は……」と,「それら」ではなく「それ」と書かれている点に注目すれば,法然と親鸞の違いを説明すること(法然と親鸞を個別に説明すること)まで求められておらず,両者をまとめて考えればよい,と判断できる。その際,資料文(3)で法然の言葉として紹介されている「罪の軽重は関係ない」を,親鸞の主張だと一般には考えられている悪人正機説と合わせて考えておけばよい。
さて,法然と親鸞は,自らを罪深い人間であり,自分の意思で善行を積むことができない人間であると自覚し,阿弥陀仏の本願にすがり,ただひたすら念仏を唱え続けること(専修念仏)を説いた。したがって,戒律を守ることや自力作善(善行を積むこと)の意義を否定したのが彼らであった。
そして法然は,藤原兼実の求めにより『選択本願念仏集』を著したように,朝廷のなかでも信者を得たし,資料文(3)で紹介されているように,鎌倉幕府の御家人のなかにも教えが広まった。

続いて,②について。資料文(4)・(5)が旧仏教側の活動について述べた文章である。
資料文(4):
朝廷に対して法然や親鸞ら専修念仏に対する弾圧を求め,実現させた。
資料文(5):
叡尊が活動の対象とした人々(階層)について,2つの階層が説明されている。(a)「北条氏の招きによって鎌倉に下向し」から,幕府(あるいは北条氏)の支持を得ていたことがわかり,(b)「多くの人々に授戒した」の「多くの人々に」との表現や,「京都南郊の宇治橋の修造」という勧進から,民衆を含めた広い階層の人々をも対象としていたことが分かる。なかでも,法然や親鸞との対応関係から言うと,(b)に注目したい。つまり,法然や親鸞も,旧仏教側の叡尊ら律僧も,いずれも民衆を含めた広い人々を対象として活動を展開していたのである。
そして,「多くの人々に授戒した」との表現から,人々に戒律を守ることを勧めたことが分かり,さらに「京都南郊の宇治橋の修造」という作善への協力・参加を呼びかけ,仏法との結縁を勧めたことが分かる。


(解答例)
A(1)は天皇家への中下級貴族の忠誠を示したのに対し,(2)は貴賤を問わず広く協力が求められ,仏教を通じた人心の統合が図られた。(60字)
B法然や親鸞は念仏を唱えることのみに専念することを説き,戒律を守ることや自力作善の意義を否定したのに対し,旧仏教側は朝廷に彼らへの弾圧を求めると共に,幕府の支持を得ながら広く勧進を行い,戒律を守ることや橋の修造など作善への参加をよびかけた。(120字)