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年度 2017年

設問番号 第2問

テーマ 六波羅探題・鎮西探題での裁判とその成立経緯/中世


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問われているのは,鎌倉幕府が京都で裁判を行うようになった経緯。

まず,鎌倉幕府が京都でどのように裁判を行っていたのかを確認しよう。
資料文⑴
◦各地の御家人を当事者とする紛争を適正に裁決することが幕府に求められた
◦京都に北条氏一門を派遣して統治機関を設置=裁判を行う
資料文⑵
◦最初の長官=北条泰時・時房の二人

京都で幕府による裁判を担った統治機関とは六波羅探題であり,承久の乱を契機として設置された。
そして,六波羅探題で裁判が行われたのは,承久の乱にともない,畿内・西国の院方所領が没収され,多くの東国御家人が新しく地頭として任じられたことが発端であった。
なお,各地の御家人を当事者とする紛争を適正に裁決することが求められたのは,新しく東国御家人が畿内・西国に多く地頭として任じられるなか,得分などをめぐって公家・寺社とのあいだで紛争が生じためである。


問われているのは,鎌倉幕府が九州について⑶の措置をとった理由・背景。条件として,当時の軍事情勢に留意することが求められている。

まず,資料文⑶の措置の内容から確認しておく。
◦博多で下された判決は,京都の場合と異なり,九州の御家人が鎌倉に訴え出ることが原則として禁じられた

博多で裁判を行うために設けられた統治機関とは鎮西探題であるが,次に,この機関が設けられた経緯を確認しよう。
モンゴル襲来は2度目の弘安の役で終わったが,それは結果論である。弘安の役後もモンゴルによる侵攻の可能性は消えず,高麗からモンゴルの国書がもたらされたり,モンゴル(元)から服属を求める使節(禅僧一山一寧)が来日たりした。したがって,幕府は第3次襲来への警戒態勢を解くことができず,博多湾岸を警備する異国警固番役を継続し,九州に所領をもつ御家人に対して課した。こうした情勢のもと,九州に所領をもつ御家人を当事者とする紛争を裁決するため,博多に鎮西探題が設けられた。

最後に,六波羅探題の場合と異なり,鎮西探題での判決に不服があったとしても九州の御家人が鎌倉に訴え出ることが原則として禁じられた事情を推論しよう。
先に確認したように,九州(博多湾沿岸)ではモンゴルによる第3次襲来の可能性を警戒し,御家人らに異国警固番役が課された。そうしたなか,九州の御家人が鎌倉に訴え出ることは,沿岸警備の任務を放棄することになる。
ここから,鎌倉に訴え出ることを原則として禁じたのは,御家人が九州を離れることを抑え,異国警固番役に専念させるためだったと推論することができる。

なお,資料文⑵には「モンゴル襲来後」に鎮西探題が設けられた,と書かれているので,答案では「弘安の役後も」と書かずに「モンゴル襲来後も」と表現して問題ない。


(解答例)
A承久の乱を契機として,東国御家人が畿内・西国の院方所領に多くの地頭として補任されたうえ,六波羅探題が京都に新設された。(60字)
Bモンゴル襲来後もモンゴルが三たび侵攻する危険性が消えず,警戒を緩めることができなかった。そのため,幕府は九州に所領をもつ御家人に異国警固番役を課し続け,警備に専念させようとした。(90字)


【添削例】

≪最初の答案≫

A承久の乱に勝利した幕府は上皇方から没収した所領に東国御家人を新補地頭に任じて西国に派遣し,京都に六波羅探題を設置した。

B二度の蒙古襲来の後も幕府は蒙古の再襲来を恐れ,警戒を継続する必要があった。そのため幕府は九州の御家人に訴訟のために九州を離れることを禁じ,異国警固番役に動員し続け,専念させた。

うまく書けています。OKですよ。