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年度 2018年

設問番号 第3問

テーマ 異国船打払令/近世


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問われているのは,「幕府の姿勢」が異国船に対するどのような認識に基づいているのか。

まず,異国船打払いを命じる頃,日本近海に出没していた異国船がどのような船舶であったのか,資料文から確認しておく。
資料文⑴ 「イギリスの捕鯨船」
資料文⑵ 「イギリス捕鯨船」
資料文⑶ 「近海に出没する異国の漁船」
これらから,捕鯨などに従事する漁船である,とまとめることができる。

次に,「幕府の姿勢」を確認しておく。
設問文にある通り,「異国船打払いを命じる法令を出したにもかかわらず,⑸のように沿岸防備を強化しなかった」というものである。つまり,資料文⑶に「格別の防備は不要である」とあるように,異国船は沿岸防備を強化せずとも打払いが可能であると幕府が考えていた。
このことを根拠とすれば,幕府が異国船は武装していない,あるいは,武装していたとしても軽微なものだと認識していた,言いかえれば,ロシア使節レザノフの一行(のちロシア軍艦蝦夷地襲撃事件を引き起こす)や長崎に乱入したイギリス軍艦フェートン号のような軍艦ではなく,幕府にとって軍事的脅威にならないと認識していた,と推論できる。

なお,異国船に対する認識を説明すればよいので,「⑸のように沿岸防備を強化しなかった」理由まで説明する必要はない。


問われているのは,幕府の政策にはどのような意図があったと考えられるか。その際,異国船打払令と同時に⑷の法令が出されていることを根拠として考えることが求められている。
なお,問題文の冒頭から考えれば,「幕府の政策」とは異国船打払令を指すことが分かる。

まず,⑷の法令から確認しておく。
資料文⑷では,その趣旨が
「海上で廻船や漁船が異国の船と「親しみ候」事態について,あらためて厳禁する」
と説明されている。
ここで注目したいのは「あらためて」との表現である。ここから,それ以前からも厳禁する法令が出されていること,それにも関わらず異国の船と「親しみ候」事態が発生していたことの2点が分かる。そのことに関わるのが資料文⑴のエピソードである。
資料文⑴
「水戸藩領の漁師らがイギリスの捕鯨船と密かに交易をおこなったとの「嫌疑」を受けた。」
実際に漁師らが異国船と密かに交易を行っていたのかどうかは定かではない。しかし,資料文⑷の法令の内容を念頭におくならば,漁師が海上で異国船と接触する事態が生じていたことは想定してよい。
さらに,このことを前提とすれば,資料文⑵で述べられたイギリス捕鯨船員の常陸大津浜への上陸事件も,異国船が接近した事例の一つとだけ考えるのではなく,違った見方ができる。
資料文⑵
「捕鯨船員の上陸に際し,「幕府および水戸藩は,この事件への対応に追われた。」
この事件は,異国人が来航・上陸して日本人と接触した(接触する可能性が生じた)事件と考えることができる。
以上の考察から,幕府は⑷の法令を出すことによって日本船と異国船,日本人と異国人との接触を防ごうと意図していたと推論できる。

では,なぜ日本人と異国人との接触を防ぐ必要があるのか?
そのことを考える際,欧米諸国の接近のなかで「鎖国祖法観」とも称される対外認識が形成されたことを思い起こせばよい。幕府は「鎖国」(特定の国に通交を限る)を祖先が定め,代々受け継いできた法だと考え,順守しようとする認識ができあがり,定着していった。では,なぜ「鎖国」政策がとられたのか? それは,キリスト教禁制を徹底するためであった。
このように考えをめぐらせば,キリスト教禁制策を徹底するという意図から,⑷の法令により日本人と異国人との接触を厳禁しようとした,と推論できる。

最後に考えておかなければならないのは,この設問でいう「幕府の政策」=異国船打払令と⑷の法令との関連である。
日本人(日本船)と異国人(異国船)との接触を防ぐという観点からすれば,異国船打払令は(オランダ船・中国船以外の)異国船を二念なく撃退することを命じることにより,日本人(日本船)と異国人(異国船)とを隔離しようとする政策であった,と判断することができる。

ちなみに,異国船打払令の発令に先立ち,天文方高橋景保が次のような意見書を幕府に提出している。参考になるだろう。
「近年イギリス漁船たびたび東海へ罷りこし候儀,みな鯨魚の船に御座候。(中略)このたび異人を世話つかまつり候大津浜漁人ども,異人差し戻し候節〔せつ〕,いかにもなごり惜しき体〔てい〕にこれあり候由〔よし〕,先年松前にしばらく差し置かれ候ロシア人御帰しに相成り候節,兼ねて懇意にまじわり候者ども,いずれも別れを惜しみ,なかには落涙に及び候者もこれある由,承り候。これらは人情やみ難き儀とは申しながら,御禁制の異人へ対し,左はあるまじき儀に御座候ところ,全く珍奇を好み候ところより起こり候ことと存じ奉り候。(中略)異船渡来のたびたび諸家の警固人数多く差し出し候儀,異国へ対し厳重にあいみえ,御手厚きの儀には候えども,わずかの漁船の警固におびただしく士卒を出し,幕を張り,弓銃兵杖を備え候など,実に鶏を割くに牛刀を用い候よりもなお甚〔はなは〕だしく,(中略)いよいよ諸家の困窮にあい成り,御為筋〔おためすじ〕にもあいならず,実に無益の費〔つい〕えに御座候。(後略)」


(解答例)
A当時近海に出没した異国船は捕鯨などに従事する漁船であり,非武装,もしくは軽武装で,軍事的脅威にならないと認識していた。(60字)
B異国船打払令は異国船を二念なく撃退することを命じることで日本船が異国船と接触することを防ごうとした政策で,日本人と異国人とを隔離し,キリスト教禁制策を維持することを意図していた。(90字)


【添削例】

≪最初の答案≫

A日本近海に出現した異国船は、捕鯨船や漁船であり軍事的装備をしていないため、幕府は軍事的脅威にはならないと考えたから。

B日本近海に出没する異国船を軍事力により撃退し、海上での日本船と外国船の交流を遮断することでキリスト教など西洋の文化に日本人が触れる機会を絶ち、鎖国体制を徹底させようとした。

AはOKです。
Bについてですが、
キリスト教など西洋の文化に日本人が触れる の部分が問題です。 キリスト教に限定せずに「キリスト教など西洋文化」と一般化したのはなぜでしょうか。 すでに漢訳洋書の輸入制限は緩和され、蘭学が発達していたし、幕府も蘭学の成果を積極的に受容していたはずですが。

≪書き直し≫

B日本近海に出没する異国船を二念なく軍事力で撃退し,海上での日本船と外国船の交流を遮断することでキリスト教に日本人が接触する機会を絶ち,鎖国体制・禁教政策を徹底させようとした。

> 「鎖国政策・禁教政策」
という並列がひっかかりますが、ほぼ問題ありません。