過去問リストに戻る

年度 2019年

設問番号 第3問

テーマ 17世紀後半〜18世紀における輸入代替化/近世


問題をみる

設問A
問われているのは,江戸幕府が⑵~⑷のような政策をとった背景や意図。条件として,貿易との関連において考えることが求められている。

まず,「⑵~⑷のような政策」がどのようなものかを確認したい。
資料文⑵
◦長崎における生糸などの輸入額を制限(1685年)
◦京都の織屋に命令:日本産の生糸も使用すること(1712年)
◦諸国に養蚕や製糸を奨励(1713年)
資料文⑶
◦対馬藩に朝鮮人参を取り寄せさせる(1720年)→朝鮮人参の栽培を試みる
◦人参の種を誰でも希望する者は買うように,という触れを出す(1738年)
資料文⑷
◦薩摩藩士に教えを受ける(1727年)→サトウキビの栽培を試みる
◦製糖の方法を調査・研究

これらをまとめれば,
幕府が18世紀前半,生糸や朝鮮人参,砂糖の国内生産を奨励,あるいは試みたという政策を実施していたことがわかる。

ところで,生糸や朝鮮人参,砂糖に共通点はあるのか。そのことを考える手がかりは資料文⑴である。
資料文⑴ 17世紀の貿易
◦多く輸入された品々=中国産の生糸,東南アジア産の砂糖,朝鮮人参
◦輸入の対価=初めは銀,やがて金や銅が支払われた
ここから,生糸・朝鮮人参・砂糖がいずれも,17世紀を通じて輸入が多かった品々であったことが分かる。
つまり,幕府は18世紀前半,主要な輸入品の国産化をはかろうとしていた,とまとめることができる。

次に,背景や意図についてである。条件に従い,貿易との関連のなかで考えたい。
ここで注目したいのは,
◦輸入の対価が銀や金,銅であったこと(資料文⑴) ……ア
◦幕府が1685年に長崎での輸入額を制限していること(資料文⑵) ……イ
(なお,これに関しては1715年,海舶互市新例でも輸入額の制限が行われていることも知っているはず)
の2点である。
これらが主要な輸入品の国産化をはかることとどのように関連するのかを考えたい。
気づくことは
ア→17世紀後半以降,金銀産出高が激減していること
イ→1680年代から中国船の長崎来航が激増していること(明清交替の動乱が終焉したことを背景として)
である。
つまり,貿易額が増加するなかで金銀産出高が激減していたため,貿易額を抑制して金銀の流出を抑えるため,幕府は「⑵~⑷のような政策」を行ったのである。

ところで,
中国産の生糸や東南アジア産の砂糖は,17世紀半ば以降,中国船やオランダ船によって長崎にもたらされていた。それに対して朝鮮人参は,朝鮮との貿易を独占していた対馬の宗氏によってもたらされていた。
長崎貿易は1680年代以降,中国船の来航が激増して増加したことは先にふれたが,では,日朝貿易はどうだったのか。
対馬から釜山への渡航船は己酉約条(1609年)によって制限されていたものの,対馬藩の努力により航行数の実質的な拡大が進められ(年間20艘→年間平均80艘へ),日朝間での貿易額も増加していた。朝鮮からの主な輸入品は中国産の生糸や朝鮮人参などで,対価としては主に銀があてられていた。
つまり,資料文⑴は,長崎貿易だけにあてはまるのではなく日朝貿易も含めた説明だと判断できる。

設問B
問われているのは,幕府が⑵~⑷のような政策の背景として,国内の消費生活においてどのような動きがあったのか。条件として,それぞれの産物の用途に留意することが求められている。 まず,考察の対象となる時期がいつなのか,確認したい。
資料文⑵~⑷でとりあげられているのは1710年代~30年代であり,正徳政治から享保改革にかけての時期である。
この時期は,正徳金銀,そして享保金銀と良質な金銀貨が発行され続けている時期であり(1730年代後半になって品位・量目を低下させた元文金銀が発行される),貨幣流通量が抑制されて経済全体としてはデフレ傾向にあり,と同時に,幕府によって倹約が奨励された時期である。
一方,その前,つまり長崎などで貿易額が増加し,それに対応して幕府が輸入額の制限(資料文⑵)を始める時期は元禄時代であり,幕藩体制の安定を背景として経済が発展し,品位を下げた元禄金銀が発行されて貨幣流通量が増加したことにより,その経済発展が助長された時期である。
つまり,幕府が行った⑵~⑷のような政策の歴史的な前提となる時期は経済発展が進んでいた。具体的には,東・西廻り海運を通じた全国的な流通が活発化して大坂が天下の台所として繁栄し,都市での需要に対応して農業生産が拡大した時期である。
このことを念頭におけば,経済発展に関連づけながら国内の消費生活における動向を考えていけばよいことがわかる。

では,誰が,どのような消費生活を送っていたのか,考えていこう。
幕藩体制において,まず最初に消費者として思い浮かべたいのは将軍・大名やその家臣などの幕藩領主(武士身分)である。
次に,当時の経済発展に関連するところでは,まず都市の庶民,特に上層町人,続いて村々の百姓,特に上層農民(豪農)を思い浮かべたい。彼らは経済発展にともなって富を蓄積し,生活水準を上昇させ,それにともなって消費支出を増大させ,高級品・奢侈品の消費を増やしていた。
ここで生糸や朝鮮人参,砂糖が関連してくる。
生糸は絹織物の原料であり,資料文⑵で取りあげられている「京都の織屋」は京都・西陣の絹織物業者を想起することができ,そこから高級絹織物がこの問題での焦点になっていることがわかる。
朝鮮人参は,資料文⑴によれば,薬種である。滋養・強壮薬として珍重された,高価な薬種であった。
砂糖は菓子類の原料である。柏餅などに入っている餡(あん),羊羹,戦国時代に南蛮貿易にともなって伝えられた金平糖(コンペイトウ)などを思い浮かべればよい。
すべて高級品・奢侈品である(朝鮮人参と砂糖に関しては嗜好品とまとめてもよい)。


(解答例)
A17世紀末以降,金銀産出高が激減する一方で貿易額が増加したため,主要な輸入品の国産化を進め,金銀の流出を抑えようとした。(60字)
B商品経済の発展に伴い,武士だけでなく上層町人や豪農の生活水準が上昇したのに応じ,生糸を原料とする高級な絹織物や朝鮮人参などの薬種,砂糖を使った菓子など奢侈品の消費が増大していた。(90字)