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年度 2020年

設問番号 第1問

テーマ 文字(漢字)を書くこととその普及/古代


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文字(漢字)を書くこととその普及について,実用面と文化・芸術面とに注目して問うた問題である。

設問A
問われているのは,中央の都城や地方の官衙から出土する8世紀の木簡に『千字文』や『論語』の文章の一部が多くみられる理由である。

最初に,「木簡に『千字文』や『論語』の文章の一部が多くみられる」とは,どういうことなのかを確認しておく。
木簡とは墨で文字が書かれた木の札のことで,8世紀には指示や豊国,記録などの事務をとるため,あるいは,文字の練習をするために中央・地方の官庁で使われていた。もちろん紙も使われていたが,当座の連絡やメモ,荷札には削って何度も再利用できる木簡を使い,大切な記録や長い分量のものには保管に便利な紙を使う,という具合に使い分けられていた。したがって,木簡に文章の一部がみられるということは,官人らが木簡に文字(漢字)を書き記したことを意味しており,それも当座の目的・用途であったことがわかる。
では,何のために『千字文』や『論語』の文章の一部を木簡に書き記したのか?

『千字文』は,資料文⑴によれば,「初学の教科書」であり「習字の手本としても」利用されたという。資料文⑴には,何についての「初学の教科書」なのかは明記されていないが,「千字の漢字を四字句に綴ったもの」という説明から漢字学習のための「初学の教科書」であることがわかる。そして,「習字の手本としても」利用されたということは,漢字(や成句)の読み書き能力を身につけ,漢字(や成句)に習熟するための教科書であったと判断することができる。
一方,『論語』は儒学の書籍(五経に準ずる代表的な書籍)である。資料文⑶によれば,官吏養成機関として設けられた中央の大学,地方の国学で「共通の教科書」として採用されていたという。「共通の」と表現されていることから,中央官人と郡司などの地方官人とに共通して『論語』を学ぶことが求められていたことがわかる。
このように『千字文』と『論語』とは,漢字の読み書き能力を身につけるための教科書,儒学を学ぶための書籍という風に,やや性格が異なる。とはいえ,この設問では両者が併記されている。その点に注目すれば,最低限,両者の共通点である漢字(や成句)に習熟するという用途に注目して考察を進めていきたい。

次に,誰が『千字文』や『論語』の文章の一部を木簡に書き記したのかを確認したい。
設問文に「中央の都城や地方の官衙から出土する」と書いてあるし,また,すでに資料文⑶から確認したように,中央・地方を問わず官吏養成機関で『論語』が教科書として採用されているのだから,官人らが木簡に漢字(やその成句)を書き記したことがわかる。

最後に,なぜ官人らが漢字(や成句)に習熟することが必要だったのか,その理由・背景を考えたい。その際,中央・地方に共通して漢字の読み書き,習熟が必要な場面を想起しながら考えたい。参考になるのが資料文⑷である。
資料文⑷では,
・6年に1回,戸籍を国府で3通作成する
・地方から貢納される調は,郡家で郡司らが計帳などと照合 → 貢進者・品名・量などを墨書した木簡をくくり付けて都に送る
国府では戸籍が作成され,郡家では徴収した調と計帳との照合,荷札への墨書などの作業が行われている。国府には中央の貴族・官人が国司として派遣されてきて勤務し,郡家では在地の豪族が郡司に任用されて勤務している。
戸籍・計帳はともに文書で,ともに漢字で記されている。したがって,国司や郡司をつとめる中央・地方の官人らは漢字の読み書き能力をもつことが不可欠であったことがわかる。もちろん,律令という法典そのものが漢字・漢文で書かれている点を思い浮かべてもよい。

設問B
問われているのは,中国大陸から毛筆による書が日本列島に伝えられ,定着していく過程において,律令国家や天皇家が果たした役割である。その際,唐を中心とした東アジアの中で考えることが求められている。

「中国大陸から毛筆による書が日本列島に伝えられ,定着していく」過程に焦点をあてられており,かつ唐代に焦点をあてて考えることが求められているので,次のように資料文⑵=伝来から資料文⑸=定着までの過程を思い浮かべ,そのなかで律令国家や天皇家が果たした役割を考えていけばよい。
資料文⑵
・唐の皇帝太宗が好んだ毛筆による書「王羲之の書」が遣唐使に下賜されて持ち帰られる;伝来
↓<律令国家や天皇家が何らかの役割を果たす
資料文⑸
・空海・橘逸勢も唐代の書を通して「王羲之の書法」を学び,彼らが書道の達人と呼ばれるようになる;定着
そして,「王羲之の書」が取り上げられている点に注目し,書(文字を書くこと)の文化的・芸術的な側面に注目しながら「役割」を考えていきたい。そうすれば,資料文⑶・⑸に即して考察すればよいと判断できる。

資料文⑶
・大学(寮)に毛筆による書(書法)を教授する学者,学ぶ学生がいた …a
・王族の家には書の手本を模写する人が存在した(らしい) …b
・国家事業として仏典の書写がさかんに行われた …c

資料文⑸
・聖武天皇遺愛の品の中に,王義之の真筆や手本があった …d
・光明皇后が王羲之の書を模写した …e

aとcが律令国家の行った政策であり,bとd,eが天皇家の行った行為である(bは上級貴族の家でも行われていた可能性はあるが,可能性でしかなく考えに入れなくてよい)。
律令国家(朝廷)は,官吏養成機関である大学で毛筆による書の教育体系を整え,また,国家事業として写経を進めた。
天皇家は,遣唐使を通じてもたらされた王羲之の真筆を所持し,王羲之の書(あるいは唐代の書)を模写していた。
こうしたなかで王羲之の(毛筆による)書(書法)が広まり定着していったと推論することができる。

ところで,なぜこのように「王羲之の書(書法)」が広まり定着したのだろうか。
設問のなかで「唐を中心とした東アジアの中で」と指示されていることを意識したい。資料文⑵によれば,唐の皇帝太宗が「王羲之の書」を好んで模本(複製)をたくさん作らせており,8世紀当時,唐が東アジアの政治・文化の中心であったため,日本でも毛筆による書(書法)の規範として受け入れられ,定着していったと推論することができる。


(解答例)
A律令制では文書行政が基本で,文書作成の能力や儒教的学識が求められたため,官人は木簡を使って漢字や成句の習熟に努めた(59字)
(別解)A律令制では戸籍・計帳で人民を支配し,租税納付に際して荷札を付すなど文書行政が基本であり,官人に漢字の習熟が求められた。(60字)
B唐皇帝の愛好した毛筆による書が下賜され,遣唐使を通じて伝えられた。東アジアでは唐が文化の規範であったため,天皇家は積極的に書の模写・収集に努め,律令国家は大学に書の教育体系を整えるとともに仏典の写経事業を行わせるなど,書道の定着を促した。(120字)