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年度 2020年

設問番号 第2問

テーマ 戦国期京都における町の自治/中世


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問われているのは,16世紀において,京都・祇園祭の山鉾がどのように運営され,それは町の自治のあり方にどのように影響したのか。

まず,山鉾の運営から確認しよう。
山鉾とは装飾を凝らした屋台(山車)で,一定期間,町なかに建てられ,そののち,図1のように練り歩く(巡行する)。したがって,山鉾の運営には山鉾を保存・維持すること,建てること,練り歩くことなどが含まれている。
では,誰が,どのように運営したのか。
資料文⑴
・室町幕府が祇園祭の延期を命じた → 山鉾の巡行は行いたいと「下京の六十六町の月行事たち」が主張した
図1
・長刀鉾のあとに蟷螂山,傘鉾が続いて巡行している

ここから,山鉾巡行の主体が「下京の六十六町」であり,共同して巡行を行っていたことがわかる。
(祇園祭が山鉾の巡行だけで成り立っていたわけではないこともわかるが,このことは設問の主題ではない。祇園祭は,神輿の渡御という神事と山鉾の巡行とで構成されていた)

資料文⑵
・下京の各町…祇園祭の山鉾を用意する …a

・そのために各町が行ったこと
 他町の者へ土地を売却することを禁じるよう幕府に求めた …b
 町の住人に賦課された「祇園会出銭」から「山の綱引き賃」を支出した …c

aからは,山鉾を用意する主体は「下京の六十六町」の各町であったことがわかる。
cからは,運営のために必要な経費を町の住人への賦課によって調達していたことがわかる。

以上をまとめれば,次のようになる。
個々の山鉾は町ごとに用意し,山鉾の巡行は町の連合組織が,幕府から独立して自主的に運営していた。
運営にかかる経費は,町の住人への賦課により調達していた。

続いて,山鉾の運営が町の自治のあり方にどのように影響したのかを確認しよう。
先ほど資料文⑵のbを考察の対象から飛ばしたが,
bからは,土地売却を禁じるなどの共同体的な規制が住人に加えられていることがわかる。
これは,山鉾の運営(町ごとに山鉾を用意・運営し,運営のための経費を町の住人への賦課によって調達していたこと)にともなう事態と考えることができる。町ごとの運営経費をそれぞれの町の住人から徴収するのであれば,土地の所有者が町の外へと流出することは避けたいとの発想が出てくるのは当然で,そのため,町は住人に対して規制(共同体的な規制)を加えたことを示すのが,この事態だと考えることができる。そして,土地売却の規制は,土地をもつ住人が地縁的な結びつきを強める契機と言える。
なお,禁制を幕府に求めたことからは,住人に対する町の規制力は元来さほど強いものではなく,幕府を介することによって共同体としての規制を強めようとしていることもわかる。

では,町の住人たちはどのような地縁によって結びついたのか。あるいは,山鉾を出した各町の区域はどのような形で成り立っていたのか。これを判断する素材が資料文⑶・⑷,図1・2である。
資料文⑶
・長刀鉾や蟷螂山,傘鉾という山鉾がある …d
資料文⑷=図2
・通りをはさむように町名が連なっている …e
図2
・山鉾の名のついた長刀鉾町,蟷螂山町,傘鉾町がある …f

dとfから,山鉾を出すことが町の形成のひとつの契機であったことがわかる。
(なお,小結棚町や四条町のように,山鉾の名がついていない町名もあるが,高校日本史の知識ならびに資料文のデータだけからでは判断できない。)
eから,町が通りをはさむように形成されていたことがわかる(こうした成り立ちをもつ町のことを両側町という)。


(解答例)
山鉾の巡行は町の連合組織が自主的に運営し,個々の山鉾は町ごとに住人から経費を徴収して用意・運営した。そのため,町では幕府に要請して土地売却を禁じるなど住人への共同体的な規制が強まり,山鉾の名が町名となったように,通りをはさんで土地をもつ住人どうしが地縁的な結びつきを強めて自治運営を行うようになった。(150字)
(別解)通りをはさんで住む富裕な商工業者により町が組織され,町の連合組織が形成されたことを基礎に,山鉾は町が室町幕府から独立して自治運営した。そのため,山鉾の名が町の呼称となる一方,町では住人から経費を徴収するしくみを整えることが必要となり,幕府に要請して土地売却を規制するなど,住人の自由に抑制を加えた。