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年度 1985年

設問番号 第2問

テーマ 鎌倉の武家社会の特質/中世


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設問の要求は,鎌倉時代の武士社会の特質だが,史料(北条泰時がおこなった裁判についての説話)から知ることのできる,との限定がついている点に注意が必要である。

まず, 史料の内容把握から始めよう。
ある国の地頭(父)
◦孝養を尽くした兄ではなく,弟に所領すべてを相続させた。
嫡子(兄)
◦父に孝養を尽くしたが,相続を受けられなかった。
次男(弟)
◦父の所領すべてを相続した。兄の訴訟を受けて立った。

幕府の裁決
◦父への孝養や幕府への奉公ではなく,「父にすでに子細あればこそ」との理由によって弟が勝訴。

つまり,兄弟の所領相続をめぐる対立に際し, 幕府は父親の意思に基づき,その事情を詮索することなく 裁決を下したというエピソードである。
さて, この内容を説明するだけでは「武士社会の特質」は明らかにならない。より一般化することが必要である。
執権北条泰時の頃が対象となっているのだから, 同時期に制定された御成敗式目に注目しよう。次のような規定が含まれている。

一 譲状を得るの後,その子父母に先だち死去せしむる跡の事
右,その子見存せしむるといへども,悔い還すに至っては何の妨げあらんや。いはんや子孫死去の後は,ただ父祖の意に任すべきなり。(第20条)
親の悔返し権を確認した規定である。親が子孫に譲与した所領は「父祖の意」, つまり親の意思にまかせ,その意思が変わったときには自由に取り戻すことができる,という。しかも,次の規定のように,幕府による所領安堵ですら無効とすることができる。
一 所領を子息に譲り,安堵の御下文を給はるの後,その領を悔い還し,他の子息に譲り与ふる事
右,父母の意に任すべきの由,具〔つぶさ〕にもって先条の載せ畢〔おわ〕んぬ。よって先判の譲につきて安堵の御下文を給はるといへども,その親これを悔い還し,他子に譲るにおいては,後判の譲に任せて御成敗あるべし。(第26条)
つまり,親子関係,言い換えれば,家内部の問題については親の意思を優先させ,幕府は介入しないことを原則としていた, とまとめることができる。
ところで, このことは鎌倉時代の「特質」なのか? 室町時代などとは異なり, 鎌倉時代に独特なことがらなのか?

室町時代の相続については, 所領が嫡子により単独相続されるようになっていたこと, それに伴って嫡子( 家督相続者) の地位が庶子に比べて強くなり, その地位をめぐる争い( 家督争い) が多発するようになったことは知っているだろう。
こうした状況の中,家督相続は親(当主)の意思だけでは決まらず,一門や家臣の意向,さらに幕府(将軍)などの外部勢力の動向に左右されるようになっていた。当初は,親( 当主) の意思と家臣らの合議とのバランスの中で決定され,さらに幕府の承認を受け,それなりの安定を確保できていた。しかし,6代将軍足利義教が謀殺されて以降, 将軍の求心力が低下して有力守護が幕府の主導権を争い,守護たちがそれぞれに系列化され二派に分かれて抗争する事態となるに従い,その安定性が崩れて家督争いが顕在化する。そして,家臣など家内部の動向にさまざまな外部勢力の動向がからんで複雑化していく。これが応仁・文明の乱の前提状況であった。
こうした室町時代のあり方と対比すると,先に確認した親の意思が優先されるあり方は, 確かに鎌倉時代の「特質」であると了解できる。

ところで,鎌倉時代の武士社会のあり方が取り上げられると,惣領制を思い浮かべる受験生が多いと思う。
惣領制は,本家の長を惣領と仰ぎ,血縁に基づいて一門( 一家) として結合するという,武士の社会的結合のあり方であり,惣領を介して間接的に一門と幕府(将軍)とを関係づける制度であった。将軍からの所領安堵, 将軍に対する軍役などの奉公といった関係を, 惣領が一門を代表して幕府と取り結んだのである。
幕府が内部に介入しないという姿勢を取っているという点で,史料に紹介されているエピソードと共通性を見出すことができ,惣領制という視点を活用した答案を作ることもできる。とはいえ,惣領と親が直結するとは限らないし,一門と親子関係というずれがあり,単なる類似でしかないし,さらに言えば,史料の内容に即していないという点で,必ずしも推奨できるものではない。


(解答例)
説話では,幕府は兄弟間の所領相続争いに際して,奉公の有無などを判断材料とせず,「父にすでに子細あればこそ」と,父親の意思に基づき,その事情を詮索することなく判決を下している。のちの室町時代には,家督相続が親の意思だけでなく幕府や家臣の動向に影響されるようになったのに対し,この時代の武士社会では親の意思が優先され,幕府もそれを尊重して家内部には介入しなかった。
(別解)説話では,幕府は兄弟間の所領相続争いに際して,奉公の有無などを判断材料とせず,「父にすでに子細あればこそ」と,父親の意思に基づき,その事情を詮索することなく判決を下している。当時幕府が制定した御成敗式目でも,親の悔返し権を認めるなど家における親権の絶対性が規定されており,この時代の武士社会では親の意思が優先され,幕府もそれを尊重して家内部には介入しなかった。