過去問リストに戻る

年度 1986年

設問番号 第3問

テーマ 封建的身分秩序と式亭三馬の銭湯観/近世


問題をみる
設問の要求は、銭湯こそ五常の道が守られる場であるとの式亭三馬の主張が、厳しい身分制度下の社会的状況のなかで持った意味。青本では,「式亭三馬の『浮世風呂』の一節を読み、厳しい身分制度のもとにあった江戸時代において銭湯(公衆浴場)がどういう意味をもつか、という問題である」と書かれているが,誤り。この問題では“銭湯がもった意味”ではなく“式亭三馬の主張がもった意味”が問われているので注意すること。

まずは、“五常の道”とは何なのか。
注(5)によれば「儒教でいう、仁・義・礼・智・信」。「儒教」とあるところから、それが身分制度維持のための支配イデオロギー=守るべきものとして推奨された社会的規範であることは想像がつくだろう。身分序列を重視し、分に応じた思想・行動を強制する道徳規範である。

次に、式亭三馬作『浮世風呂』とはどのようなジャンルの読み物で、どのような人びとを読者層としていたのか。
ジャンルは滑稽本。田沼期の洒落本が粋や通を扱ったのに対し、滑稽本は野暮な世界に生きる庶民の生活を滑稽な笑いとともに軽妙なタッチで描いた。江戸の中下層の庶民が主な読者層であった。

式亭三馬が活躍したのは文化・文政期だが、最後にその“当時の社会的状況”を中下層の庶民に即して確認しよう。
すでに18世紀後半以降、経済発達を背景として江戸などの都市では商家の奉公人が増加し、また農村から出稼ぎ農民や無宿などが流入し、中下層の庶民が増加していた(三省堂の『詳解日本史B改訂版』p.192 では「江戸の人口の大半を占める」とまで表現されている)。その結果、家持町人を中心とする比較的均質な構成をもった町の共同体秩序が動揺していた。もともと近世身分社会の単位は村・町といった社会集団(共同体)であり、村や町の共同体秩序が弛緩することは身分制の動揺を意味していた。だからこそ幕藩領主は、身分制度維持のため社会的規範として五常の道=儒教道徳をいっそう強調して分限(分際)をわきまえることを民衆に求めたのである。

ここでもう一度、最初で確認した点に戻ろう。
式亭三馬は『浮世風呂』序言のなかで、銭湯では五常の道が実現されていると説いているのだが、“幕藩領主から言われずとも銭湯では実現しているぞ”と支配イデオロギー=社会的規範を茶化しているわけである。社会的規範にとらわれた日常生活をすごす中下層の庶民に一種の清涼感を与えたことだろう。


(解答例)
18世紀後半以降、江戸では経済発達を背景として中下層の庶民が増加し、町人社会の階層構成が変動して身分秩序が動揺していた。そうした状況下、庶民生活の場たる銭湯でこそ為政者が身分秩序維持のために強調する五常の道が実現しているという三馬の主張は、身分社会の規範意識を相対化させ、中下層の庶民に清涼感を与えた。
【添削例】

≪最初の答案≫

厳しい封建的身分制度の下で銭湯は身分を表す服装や髪型を取り払って、身分を意識させない空間を作り上げていた。特にこの空間の中では、儒教道徳に基づいた五常の道が守られており、三馬の主張は、身分制社会を廃して、人間をみな平等に扱うことが秩序ある理想的な社会の形成につながるのではないかという考えを民衆に与えた。

> 特にこの空間の中では、儒教道徳に基づいた五常の道が守られており

これは「事実」ではなく,三馬の判断・主張ですよね?その点をもう少し意識した表現にしよう。

> 三馬の主張は、身分制社会を廃して、人間をみな平等に扱うことが
> 秩序ある理想的な社会の形成につながるのではないかという考えを
> 民衆に与えた。

ということは,三馬は身分制社会を正面から批判したのか?
もし江戸で身分制批判を展開していたのなら,三馬は幕府から処罰を受けていてもおかしくないはずだが,そんな話は聞いたことがないですよね?つまり,ここでの君の評価は過大評価であり,ややズレているのではないだろうか。そもそも,銭湯という空間は身分制下の日常生活に組み込まれたものであり,一時的な解放感(あるいは開放感)の味わえる空間でしかないのではないか。

それに,「儒教道徳に基づく五常の道」は幕府(あるいは幕藩領主)が民衆に対して説いた通俗道徳なんですから,それが銭湯では守られていることを表現したところで身分制社会への批判,理想的な社会像の提示にはなりません。

≪書き直し≫

江戸中期以降、商品経済の発達に伴い、農民の階層分化が進むと、都市への中下層農民の流入が進み、共同体秩序が動揺していた。幕府は秩序維持のため、五常の道を民衆に強要したが、五常の道は昔からの庶民の生活の場である銭湯で実践されているという三馬の主張は、幕府の民衆支配のあり方を風刺している。

解答例の『身分意識を相対化させ』とはどういうことなんですか??

OKです。

> 解答例の『身分意識を相対化させ』とはどういうことなんですか??

幕府は、一般の(銭湯以外の)日常生活のなかで「五常の道」が実現することを求めているわけで、言い換えれば、「厳しい身分制度」のもとにある日常生活こそが(儒教でいうところの)“人間本来の姿”だと見なすのが幕府なわけです。
ところが三馬の主張は、“人間本来の姿”は銭湯で実現しているぞというものですよね。では、もっとも一般の庶民がそういう発想をもっていたかと言えば、恐らくそうではないでしょう。一般的にいって、言葉で表現されることで初めて意識にのぼるということはあるわけで、三馬の『浮世風呂』での指摘もそういう役割を果たしたと判断できます。
解答例は、そのあたりの事情を「身分社会の規範意識を相対化させ」という表現で言い表わそうとしたのです。