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年度 1990年

設問番号 第1問

テーマ 律令支配と浮浪・逃亡/古代


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(A)
設問の要求は、浮浪・逃亡に対して政府がとった政策は、どのように変化していったか。
律令制のもとでの公民支配が“戸籍・計帳に基づく人頭支配”であったことを前提としながら、説明文を読もう。
説明文のなかで参考となるのは(1)、(4)、(5)。
(1) 7世紀末…浮浪した者を「探し出してつかまえよ」
→「つかまえ」た後どうするのかは記されていないが、戸籍・計帳に登録されている本籍地に連れ戻すのだろうということは推測がつくはず。
(4) 8世紀末…浮浪した者(浪人)を浮浪人帳に登録して調庸を徴収
→浮浪人帳に登録するということは、浮浪という事実を追認し、現住所で把握する(浮浪人を身分として公認する)ということである。
(5) 9世紀末…官田の経営を一般の農民とともに浮浪人にもゆだねる
→直営田の経営にあたって、浮浪人と公民(一般の農民)を区別なく扱うようになっていることがわかる。

(B)
設問の要求は、政府の政策の変化の背景には浮浪・逃亡した者たちのどのような活動があったか。

(A)で問われているように、律令政府の政策は、9世紀末には“浮浪人を現住所で把握して調庸を賦課し、直営田の経営にも公民同様に起用する”というものに変化していた。
その政策の内容からすると、政策変化の背景として考えられるのは、●浮浪は禁止しても止むことがなかった、●田地の経営をゆだねることのできるくらい農業経営能力をもつものが浮浪人のなかに存在した(実際に貧農を隷属化させ墾田開発を進める富豪百姓が台頭していた←1996年度第1問を参照)、ということである。

説明文のなかで参考となるのは(2)、(3)、(4)。
(2) 計帳に登録されている住民のうち約10%が浮浪・逃亡している。
なお、「移住」という表現が用いられていることに注目しよう。浮浪は「移住」なのである。
(3) 浮浪人(浪人)が荘園内に居住し耕作に従事していたこと、浮浪人(浪人)が他へ移住してしまうと荘園の経営が衰退してしまったこと−この2つのデータが記してある。そこから、浮浪人(浪人)は荘園領主に隷属しておらず、自由に移住(浮浪)する存在であり、さらに荘園経営を左右するだけの実力(農業経営能力)をもっていたことがわかる。
(4) 浮浪人は、移住先の荘園領主の権勢をかりて調庸の徴収から逃れている。


(解答例)

律令政府は戸籍を人民支配の基礎としており、浮浪人を本籍地に連れ戻す政策をとっていた。ところが、8世紀後半には浮浪を追認し、公民とは別に現住所で把握する政策へと転換し、さらに9世紀後半には、公民・浮浪人の区別なく直営田の経営を請け負わせた。

浮浪人のなかに、私出挙や墾田開発を通じて富を蓄え、荘園経営を請け負うなど、大規模な農業経営を行う富豪百姓が出現した。