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年度 1990年

設問番号 第4問

テーマ 製糸・紡績業における産業革命/近代


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設問の要求は、1900年前後における製糸業、綿糸紡績業それぞれの発展の特徴。条件として、1900年前後(1898〜1902年平均)の外国貿易の状況を示した表を手掛りにすることが求められている。

まずは知識を確認しておく(1984年第3問B,1996年第4問も参照のこと)。
●綿糸紡績業(原料綿花→製品綿糸) ←綿糸:明治前期の輸入第1位
 原料綿花と機械を輸入に依存
1880年代後半に始まった産業革命を主導したのが綿糸紡績業であるが、その時期に綿糸紡績業が発展した背景は、明治前期にすでに、輸入綿糸を原料・問屋制家内工業の形態で綿織物業が復活し、国内での綿糸需要が増大していたことにあった。つまり、国内市場における国産綿糸のシェアを確保することをめざして企業が勃興したのである(大阪・名古屋周辺に多い)。その際、輸入綿糸に対抗するために、原料・機械(動力源は蒸気機関)ともに輸入に依存して機械制大工業の導入がはかられていった。その結果、1890年には綿糸国産高が輸入高を上回り(国内市場を回復)、さらに1897年には輸出高が輸入高を上回るにいたった。綿糸紡績業が対外的に自立し、さらには輸出産業へと転換していったのである。
そして、綿糸紡績業の発展を前提として、大紡績資本が織物工場の兼営に乗りだし、綿織物業の機械化も徐々に進展する。こうして綿織物という大衆衣料の生産部門で機械化がすすんだことは、自家用の衣料生産を衰退させ、国民生活のあり方を大きく変革していく。

●製糸業(原料繭→製品生糸)    ←生糸:幕末以来の輸出第1位
 原料繭と器械を国産でまかなう
製糸業は、教科書では、綿糸紡績業とともに産業革命を主導した産業の1つとして説明されることが多い。しかし、綿糸紡績業が新鋭のイギリス製機械を導入し大工場中心に急速に機械制生産を普及させていったのに対し、製糸業は中小工場が中心で、フランスの技術をもとに改良された国産器械(動力源は水車)を使い、機械化の進展もゆるやかなものであった(器械製糸は長野・群馬県を中心に普及)。そして1894年に器械製糸の生産高が座繰製糸の生産高を上回って以降も、座繰製糸が福島・栃木県を中心に存続して生産水準は衰えなかった。

次に表からデータを引き出そう。
輸出…生糸(60,172/261,225=23%)と綿糸(22,119/261,225=8.5%)が多い・生糸はほとんどが横浜港から輸出・綿糸はほとんどが神戸港から輸出
輸入…綿花(61,572/262,141=23.5%)が多い・繭(472/262,141=0.2%)は少ない

これらのデータをすべて利用して答案を作成しよう(数値は活用しなくてよい)。
ポイントは、繭と生糸(うち横浜港)・綿糸(うち神戸港)をうまく答案のなかに表現できるかどうか。そこで点数に差がつく。
 繭の輸入高が少ない
  →繭はほとんど国産でまかなわれている
 生糸(うち横浜港)・綿糸(うち神戸港)
  →輸出先か工場の立地に関連させて活用するとよい

なお、製糸業・綿糸紡績業の“発展の特徴”を書けばよいので、貿易収支に関するデータまで触れる必要はない。


(解答例)
幕末以来の最大の輸出産業である製糸業は、甲信・北関東での養蚕業の発展を背景として原料繭を国産でまかない、長野・群馬県などの中小工場で生産を拡大し、横浜港からアメリカへ輸出された。綿糸紡績業は、原料綿花をインドなどからの輸入に依存して大阪などの大工場で機械制生産を普及させ、国内市場を回復したうえ、日清戦争で獲得した中国・朝鮮市場に向けて神戸港から輸出された。