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年度 1993年

設問番号 第3問

テーマ 封建的身分秩序と大坂町人の法意識/近世


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設問の要求は,大坂の職業的な俳人・小西来山の詠んだ,知らないはずのない奉行の名を「おぼえず」とするこの俳句は,幕府の権威に対してどのような姿勢を表明しているか。

“正面きった批判・抵抗はしないものの無関心・反権威の姿勢を示している”と答えればよいのだが,それだけでは5行という字数を埋めることはできない。
となれば,なぜ小西来山はこのような姿勢を表明することが可能だったのかを説明する必要がある。その際,平松義郎『江戸の罪と罰』からの引用がヒントとなるのだが,難問。ポイントは,近世身分制社会(あるいは幕府・大名による民衆支配)の基本単位がなにか,にある。

民衆支配の基本単位は村や町(百姓や町人による地縁的自治的な共同体)であり,幕府・大名は大枠において規制を加えながらも,村や町の自治を保障し,それに依拠して民衆支配を実現していた。
したがって,「法とは政治的支配者」=幕府・大名「による命令禁止の規範であって,私的権利の体系ではなかった」。
そして村や町では,村役人・町役人の指導のもとで独自の法にもとづいて自治運営が行われており,村や町の「既存の団体秩序」に順応しておりさえすれば,代官や町奉行のまえへ引き出されてその裁きをうけることもなく,平穏に生活することができた。つまり,「既存の団体秩序に密着し,同一化するのが世渡りの方便」であった。さらに,村役人や町役人でもなければ代官や町奉行と面識を持つことはなく,彼らの名前を覚える必要もなかった。

もちろん,「天下の台所」大坂町人の“心意気”という要素も無視できないが。


(解答例)
幕府の民衆支配の基本単位は村や町などの諸団体であり,厳しく統制しながらも村や町などの自治を保障し,それに依拠して民衆支配を実現していた。それゆえ,既存の団体秩序をはみ出さない限り,民衆にとって代官や奉行は無縁な存在でありえた。こうした体制のもと,小西来山は無関心を装うことで反権威の姿勢を表明した。
【添削例】

≪最初の答案≫

民衆は幕府・大名の封建支配の下で逆らわずに団体秩序に密着し同一化するのが一般的で、幕府権威を代表する行政官である奉行は強い威厳を持っていた。が、大阪のような栄えた町人たちが暮らす都市では次第に幕府・大名の威厳が薄れ、来山の俳句には、奉行に対する無関心さや秩序を離れた自己主張が見られる。

『団体秩序に密着し同一化するのが』っていうのが資料文そのまま使ってしまったんですが、やめといたほうがいいですよね?

君の答案では

 民衆は団体秩序に密着し同一化するのが一般的
  ↓↑
 小西来山=秩序を離れた自己主張

という判断が示されているが,果たしてそうか。

リード文では,冒頭に小西来山の俳句が掲げられ,そのうえで

伝統的な日本の法意識では…(中略)…こうした社会では,自己を主張することなく,既存の団体秩序に密着し,同一化するのが世渡りの方便であり,
という文章が続いている。この構成から考えると,「自己を主張することなく,既存の団体秩序に密着し,同一化するのが世渡りの方便であり」というのは,来山の俳句についての評価(の一部)だと判断するのが素直ではないだろうか。

もちろん,「(中略)」がある点がクセ者で,2つ目の中略の部分には

「もちろん江戸時代の士庶がひたすら権威に盲従したわけではない。落首と呼ばれた夥しい無名の句や歌は,おおむね具体的な政治家・政策への「穿ち」・諷刺であった。これを一歩進めて,封建的政治体制そのものを問う箴言や詩句は差当って見出せないが,少くとも政治的権威からの自己疎外ないし超越,自我・孤高の世界の定立を公然と謳い上げる者はやはりいたのである。たとえば」(上に掲げた俳句の作者は小西来山……)
とある(赤本の解説も参照のこと)。

しかし,なぜ来山のような茶化し・うそぶいた姿勢を示すことが可能だったのか。

君はそのことの根拠を“大坂”に求めているが,リード文に続いて次のような記述がある。

「しかしこの市井の人はそうした大事な名さえ黙殺して記憶しようともせず,風雅,商売に徹して今年も暮れた,とうそぶくのである。来山は江戸前期上方の町人,その反権威的な姿勢を例外というなら,いまひとつ江戸後期地方農民の句を出しておこう。作者は小林一茶,奥信濃柏原に住んだ。北国街道沿いの屋内で炬燵に入り,往還をのぞき見たこの弱者の味方は,蕭条たる氷雨に濡れて越後辺の大名の行列が過ぎてゆくのを,そのままに叙した。
  づぶ濡れの大名を見る炬燵かな」
つまり,“大坂”は根拠にならないわけだ。

となれば,どのように考えるのか。

まず幕藩体制の基本構造を考え(1997年度第3問,1996年度第3問を参照のこと),その中で,(1)「既存の団体秩序」とは何なのか,(2)「伝統的な日本の法意識では,法とは政治的支配者による命令禁止の規範であって,私的権利の体系ではなかった」,とはどういうことなのか,を考えてほしい。

> 『団体秩序に密着し同一化するのが』っていうのが資料文そのまま
> 使ってしまったんですが、やめといたほうがいいですよね?

資料文にある表現をそのまま使ってよいかどうかは,本質的なことがらではないですから,とりわけ気にする必要はないです。

≪書き直し≫

江戸幕府は幕藩体制の維持のため民衆に対して厳しい統制を行っていた。しかし、それは高札などを通じてのもので、共同体の中で秩序に同一化していれば特に表に取りだたされることはなかった。中でも、町人に対する統制は農民よりも緩く、来山は俳句の中で幕府の権威である奉行に対する関心のなさをあらわした。

解答例でいろんなことが書かれてるのでちょっと混乱しました。
あと、ちょっと気になるんですが、先生の解答例で『小西来山は無関心を装うことで反権威の姿勢を表明した。』とあるんですが、なぜ反権威の姿勢を表明する必要があったんでしょうか?

> それは高札などを通じてのもので、共同体の中で秩序に
> 同一化していれば特に表に取りだたされることはなかった。

この表現を読むと,
○高札を掲げるだけで「厳しい統制」が可能なのか?
○「共同体」とは具体的にどういうもので,幕藩体制のなかでどのような役割を果たしているのか?(「団体」を「共同体」と言い換えただけでは内容が相変わらず分からないまま)
○なぜ「共同体の中で秩序に同一化していれば」平穏に生活をおくることができるのか?
こうした疑問が頭をよぎります。つまり,説明不足なんです。

前回のメールで「幕藩体制の基本構造を考え(1997年度第3問,1996年度第3問を参照のこと)」と書きましたよね?1997年度第3問や1996年度第3問ってどういう類型の問題だったかをもう一度確認してください。
そこでは幕藩体制下の民衆支配の基本単位,社会の構成単位のあり方が焦点になっていましたよね?そのことを念頭におけば,この問題のなかで「既存の団体秩序」と表現されているものが具体的に何なのかは分かるはずだし,なぜ「既存の団体秩序に密着し,同一化するのが世渡りの方便」なのかも分かるはず。

> 来山は俳句の中で幕府の権威であ
> る奉行に対する関心のなさをあらわした。

「関心のなさ」と君は評価しているが,やや疑問。なにしろ,リード文では

この句の前書きには、「大坂も大坂、まん中に住みて」とある。
と書かれている。
そのことを念頭におけば,小西来山は大坂町奉行の存在を意識しながら「お奉行の名さへおぼえず」とうそぶいているとしか思えない。つまり,“関心がない”のではなく“関心がないように装っている”ということじゃないか。

> あと、ちょっと気になるんですが、先生の解答例で
> 『小西来山は無関心を装うことで反権威の姿勢を表明した。』
> とあるんですが、なぜ反権威の姿勢を表明する必要があったんでしょうか?

来山の俳句は茶化し,あるいはからかいですから,「必要」というほどのものはなかったと思います。

≪書き直し2回目≫

江戸時代、幕府は町や村といった自治組織を基本単位として民衆支配を行っており、規制を加えながらも自治を保障していた。このため、民衆は町や村の共同体に順応していれば奉行の裁きを受けることはなく、奉行とは面識を持たずに暮らすことができた。このことを背景に来山は奉行への無関心を示し、幕府権力を風刺した。

OKです。