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年度 1994年

設問番号 第2問

テーマ 南北朝期の文化的特色と背景/中世


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設問の要求は,鎌倉末期から南北朝期の(1)文化の新しい傾向と(2)それをもたらした要因。条件として,史料(a)〜(c)で述べられたその時代の世相を手掛かりとすることが求められている。

まず史料の内容把握から。
(a)東国の武士=仏法や文芸(連歌など)をたしなむ←→僧侶・公家=武を好む人が多い
(b)京都で小規模な笠懸,公家・武家の区別をとわず連歌が流行
(c)中国(元)や高麗からの船載品があふれ,交易の利潤は京の繁華街を上回り,京都・鎌倉同様に身分を問わず多くの人びとが往来し,所領は繁栄し庶民も裕福である。

これらのうち,(c)の内容把握がやや難しい。地方の町場での経済活動を主題とした文章だと判断できるかどうか。「四条・五条の辻に超過し」や「京都・鎌倉に異ならず」との表現から,京都・鎌倉以外の地方での状況を記したものだとの判断を下してほしい。

さて,
(a)と(b)から公家・武家のあいだで文化交流が進んでいたこと,身分の違いをこえて文化が共有され流行していたことがわかる。これらの要因は何か?−鎌倉末期〜南北朝期といえば,武家だけでなく公家もまきこんだ動乱の時代であり,悪党の横行・「ばさら」の流行に象徴されるように身分秩序が大きく動揺,下剋上がおこっていた(「二条河原落書」にも“下克上する成出者”との表現が含まれていることは知っているはず)。
また,文芸の具体例として連歌があげられているが,これは集団で楽しむ“寄合の文芸”とも形容される。中小武士どうしが対等な資格で提携する国人一揆,名主・小百姓による惣村など,地縁的・自治的共同体(社会集団)の形成が“寄合の文芸”を支えていた。
(c)からは,貿易・商業活動の活発化を背景として,地方でも庶民が台頭していたことがわかる。京都や鎌倉で庶民(商工業者→町衆)が台頭していたことは言うまでもない。
ここから,(a)や(b)では具体的には触れられていないが,庶民(町衆や農民)が文化のにない手として大きな存在を占めるようになっていたことがわかる。

なお,この問題で取り上げられている“文化の新しい傾向”は,なにも鎌倉末期〜南北朝期に限られたものではなく,室町時代に共通した特徴である(教科書を参照のこと)。


(解答例)
鎌倉末期以降の全国的動乱は,武士だけでなく公家もまきこんで展開し,身分・地域の違いを超えた社会的交流が深化した。また,農業生産の発達・貿易の活発化などにより各地で農民や商工業者の成長が著しかった。それらを背景に,伝統的な公家文化と新興の武士や庶民の文化の融合が進み,幅広い基盤をもつ文化が形成された。
【添削例】

鎌倉幕府の崩壊・建武の新政・南北朝の動乱などの中で、東国武士たちの文化は急速に地方へ普及した。特に京都では武家文化と公家文化が融合し、武士の中でも公家文化などを好むものや公家でも武家文化を好むものが多かった。この時期には商業経済が活発で、遠隔地間の取り引きで地方の庶民でも海外の品を得ることができた。

> 鎌倉幕府の崩壊・建武の新政・南北朝の動乱などの中で、東国武士
> たちの文化は急速に地方へ普及した。

「東国武士たちの文化が地方へ普及した」という説明だが,これは資料文では述べられていないデータだが,教科書に基づく記述なのか?
もしかすると,資料文(b)の「アマネクハヤル小笠懸」からの類推なのかもしれないが,ここだけを論拠にそのような説明を導き出すのは無理がある。

> 特に京都では武家文化と公家文化が融合し、武士の中でも公家文化
> などを好むものや公家でも武家文化を好むものが多かった。

「武士の中でも公家文化などを好むものや公家でも武家文化を好むものが多かった」の部分は,資料文(a)の単なる言い換えにすぎない。「武家文化と公家文化が融合」との表現で十分に言い尽くせている。
ただ,その融合は「京都で」のみ特徴的であったわけではない。そのことは「武士の中でも公家文化などを好むもの」が多かったとされていることからも推論できるはず。

ところで,武士・公家という身分を超えて文化の融合が進んだ要因は何か。「鎌倉幕府の崩壊・建武の新政・南北朝の動乱などの中で」という表現だけでは説明不足である。

> この時期には商業経済が活発で、遠隔地間の取り引きで地方の庶民
> でも海外の品を得ることができた。

このことは,設問の要求である「この時代の文化の新しい傾向」とどのように関連するのか?そのことを説明することが不可欠。

なお,資料文(b)が活用できていない。
「アマネクハヤル小笠懸」は,資料文(a)と共通する傾向を示すものとして判断しておけばよいが,そのあとの「京・鎌倉ヲコキマゼテ、一座ソロハヌエセ連歌、在々所々ノ歌連歌、点者ニナラヌ人ゾナキ」の部分は,どのような「文化の新しい傾向」を示したものなのだろうか?そのことの説明,ならびに,その新しい傾向がもたらされた(社会的な)要因についての説明が必要である。

≪書き直し≫

鎌倉末期の動乱は武士・公家を巻き込んで展開し、旧来の身分秩序を崩す一方、地域間の交流が活発化した。これらを背景に武家文化と公家文化の融合し、さらに農業生産力向上や交易経済の発達で文化の担い手としての力をつけた庶民も加わって、連歌のような身分にかかわらず幅広く受容される文化が形成された。

設問では「鎌倉末期から南北朝期にかけて」と時期設定されているし,動乱は鎌倉末期(幕府滅亡の直前)だけではなく,その後,南北朝期にかけて継続しているのだから,
> 鎌倉末期の動乱は
という表現は不適当。「鎌倉末期以降の動乱は」とか,「鎌倉末期〜南北朝期の動乱は」などと,表現すべき。

それ以外は OK。