過去問リストに戻る

年度 1994年

設問番号 第3問

テーマ 江戸初期の朝廷と幕府の関係/近世


問題をみる
設問の要求は,江戸時代初期の幕府と朝廷との関係の特徴。条件として,掲げられた年表を参考にすることが求められている。

まず,年表からデータを引き出そう。
(1)家康の征夷大将軍就任…豊臣秀頼に対抗し全武士の統率権を確保
(2)秀忠の征夷大将軍就任…徳川家による将軍の世襲を示す(豊臣秀頼への対抗)
(3)禁中並公家諸法度…天皇ならびに公家の行動を規制
(4)朝廷が家康に東照大権現の神号を勅許…幕府独自の権威確保のため,朝廷の許可のもとで家康の神格化を進める
(5)紫衣事件…幕府の法度が勅許(天皇の意思)より優越することを示す
(6)朝廷の勅許により日光東照社が宮号を得る
(7)朝廷が日光例幣使を派遣し,東照宮に対する崇敬を示す
(8)幕府が朝廷による伊勢例幣使の再興を承認

(3)(5)     −幕府による朝廷統制(ねらい…朝廷が独自の政治権力をもったり大名と個別的に結びついたりすることを防止)
(1)(2)(4)(6)(7)−幕府が国家支配の権威付けとして(国家支配の正統性を確保するために)天皇を利用
(8)      −幕府許可による朝廷の儀礼復興(→朝廷は幕府に依存する形でその権威を維持)

“相互に利用・依存しあっていた”“持ちつ持たれつの関係であった”などのまとめの表現で答案の最後をしめくくればよいが,最初に提示しておくのもよい。

なお,江戸幕府の対朝廷政策については一橋大1992年度第1問も参照のこと。


(解答例)
幕府と朝廷は,幕府の政治的優位のもと,相互に依存しあっていた。幕府は禁中並公家諸法度を定め,朝廷の政治関与や寺院への影響力を排除する一方,征夷大将軍への補任,家康への神号勅許など,朝廷を全国支配の権威付けとして利用していた。それに対して朝廷は,幕府に依存して儀礼復興を図り,その権威を確保していた。
【添削例】

徳川家康が朝廷から任命されたことで成立した江戸幕府は、他大名と朝廷の結びつきを恐れ、京都所司代の設置や禁中並公家諸法度の制定などによって朝廷を統制した。さらに、朝廷に圧力をかけ、勅許の発令や取り消しを自由に行い、自らの権威を高めたが、幕府の権力が安定すると朝廷との相互共存の方針をとった。

まず
> 徳川家康が朝廷から任命されたことで成立した江戸幕府は

「何に」任命されたのか?それを記しておかないと,このままでは意味不明な文章になってしまう。

> 朝廷に圧力をかけ、勅許の発令や取り消しを自由に行い、自らの権
> 威を高めたが、幕府の権力が安定すると朝廷との相互共存の方針を
> とった。

家康の神格化は勅許を基礎としている。このことをどのように評価するのか?
確かにその勅許は,幕府の圧力により実現したものだろう。しかし,家康の神格化を勅許により実現したという事実は,“幕府の権威向上は朝廷の権威に依拠することによって可能だった”ということを示すものだ(別の選択肢もありえたかもしれないが,幕府はそちらを選ばなかった)。
つまり,1617年段階でも幕府は「朝廷との相互共存の方針」をとっていたと判断するのが適当であり,「幕府の権力が安定」したあとに対朝廷政策が転換したとは判断しがたいのではないか?

≪書き直し≫

幕府は禁中並公家諸法度によって朝廷を統制し、紫衣事件では勅許を無効にするなど幕府優位を示していた。しかし、その一方で、征夷大将軍の任命や家康に対する神号・宮号勅許などは天皇の伝統的権威に基づいており、幕府は朝廷との融和をはかりながら天皇の権威を利用することで自らの権威を高めていった。

OKです。