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年度 1996年

設問番号 第4問

テーマ 明治後期〜大正期の貿易動向/近代


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設問の要求は,1890年代半ば〜1910年代初めまで,ほとんどの年が輸入超過になっている主な理由。

この設問で問題とされているのは綿糸紡績業を中心とする産業革命だが(産業革命の中心は綿糸紡績業と鉄道業),極めて基本的な問題である。

綿糸紡績業
 原料(綿花)・機械を輸入に依存
 →生産の拡大にともない輸入が増加
重工業の未発達
 鉄鋼・機械・軍需など重工業製品を輸入に依存
 →鉄道業の発達・日清戦争以降の軍備拡張にともない輸入が増加

なお,製糸業については触れる必要がない。
 製糸業…(1)原料(生糸)・器械を国産でまかなう,(2)最大の輸出産業

なお,産業革命とは工業における機械制生産(機械制大工業)が普及することをいうが,とりわけ大衆衣料の生産部門での機械化が指標となる−大衆衣料生産部門で機械制大工業が確立することは,自家用の衣料生産(農家副業)を消滅させ,国民生活を大きく変革していく−。それゆえ,日本における産業革命の中心といえば綿糸紡績業であり(それが綿織物業の機械化の基礎となる),綿糸紡績業で企業勃興が始まった1880年代後半が産業革命の開始期とされる。
ちなみに,1880年代後半以降における綿糸紡績業での企業勃興は,明治前期,輸入綿糸を原料・問屋制家内工業の形態で綿織物業が生産を回復し,国内における綿糸需要が増大していたことを背景としていた(明治前期の輸入第1位は綿糸)。

ところで,『日本史論述トレーニング』(Z会)には「日本の産業革命は,政府主導の下に,欧米技術者を招き近代技術を移植する形で達成された」(p.166)と書かれているが,それは間違い。
明治初年以来の殖産興業政策のもとで設置された官営模範工場の技術は,その時期に相次いで設立された大紡績工場へは継承されていない。工部省や内務省の官営事業はそのまま民間産業育成の手段とはなりえておらず,1870年代における“殖産興業政策=政府の政策的育成”の工業化における果たした役割はそれほど重く考えることはできない。
執筆者は,松方財政のもとで払い下げられた官営事業がそのまま民間産業として軌道にのり工業生産の機械化の中軸となったもの,と勘違いしているのではないか。


設問の要求は,1910年代半ばからの数年間に輸出が急速に増加し,大幅な輸出超過が生じた主な理由。これまた極めて基本的な問題。

第一次世界大戦の勃発にともない,
 (1)欧州諸国がアジア市場から後退
 (2)協商国からの軍需
 (3)戦争景気にわくアメリカへの輸出拡大


(解答例)
A綿紡績業における産業革命にともなって原料の綿花や紡績機械の輸入が増大した上,重工業が未熟な中での軍備拡張政策が武器・鉄鋼などの輸入を増加させたため,輸入額が輸出額を上回った。
(別解)産業革命の中心である綿業では,紡績業が原料綿花を輸入に依存した上,綿糸の国内需要が増加していた。さらに重工業が未成熟で,産業革命や軍拡の進展に伴って鉄鋼・機械類の輸入も増加した。
B第一次世界大戦の勃発にともない,ヨーロッパ諸国が後退したアジア市場への綿糸・綿布の輸出,イギリス・ロシアへの軍需品の輸出が激増した上,戦争景気のアメリカ向けの生糸輸出も増加した。
【添削例】

≪最初の答案≫

A紡績業で産業革命を達成し,大量生産できるようになると原料綿花を安価で丈夫な外国産を使用するようになった。また,重工業が未発達であったため紡績機械・軍事品は輸入に依存した。

B第一次大戦の開始とともに,戦場となった欧州への軍需品の輸出が増加した。さらに,欧州諸国が撤退した中国市場や大戦景気のアメリカへの繊維製品の輸出も増大した。

> A紡績業で産業革命を達成し,大量生産できるようになると原料綿
> 花を安価で丈夫な外国産を使用するようになった。また,重工業が
> 未発達であったため紡績機械・軍事品は輸入に依存した。

紡績業の原料綿花や紡績機械,軍事品(→軍需品が適切)の輸入が多かったために,輸入超過となっていた,という構成は問題ありません。
とはいえ,
> 紡績業で産業革命を達成し,大量生産できるようになると原料綿
> 花を安価で丈夫な外国産を使用するようになった。
の部分は,事実認識として誤っています。

紡績業で産業革命が達成されたから,原料綿花を輸入に依存するようになったのではない。産業革命が始まった段階(1880年代後半)から,すでに原料綿花を輸入に依存しています。つまり,紡績業での機械制大工業の普及過程は,原料綿花と機械とを輸入に依存するという形で(極論すれば,欧米の機械制生産を移植するという形で)展開しているのです。その点を間違わないでください。

なお,紡績業はまず国内市場向けの綿糸生産が第一であったことに注意しておいてください。もともと,明治前期には輸入第一位は綿糸です。つまり明治前期には,原料綿糸を輸入に依存する形で綿織物業が発達していたのです。それを前提として1880年代後半の紡績業における企業勃興があり,そこでも目標は,まず第一に国内市場における国産綿糸のシェア回復でした。そして,1890年に綿糸の国産高が輸入高を上回って国内市場の回復を達成して以降においても,まずは国内市場が問題とされます。もともと綿織物は庶民衣料です。資本主義社会に移行するなかで,農村部では自家用の衣料生産が駆逐され,さらに都市人口も徐々に増加していくと,綿織物の国内市場が徐々に拡大していきます。
そうなれば,紡績業で製造された綿糸は中国・韓国へも輸出されますが,まずは国内の綿織物工場に出荷され,拡大する国内での綿織物需要に応えることになります。だからこそ,原料綿花と紡績機械の輸入にともなう貿易赤字を帳消しにするだけの綿糸輸出高がなかった,つまり紡績業そのものにおいて貿易赤字を累積させてしまうことになったわけです。
ただ,この点について触れると重工業の未熟さについての記述が欠落してしまう可能性があります。紡績機械を輸入に依存せざるをえなかった背景は,まさにその点にあったわけですから,まず重工業の未熟さゆえに機械類の輸入が増えていたことを優先させましょう。

> B第一次大戦の開始とともに,戦場となった欧州への軍需品の輸
> 出が増加した。さらに,欧州諸国が撤退した中国市場や大戦景気
> のアメリカへの繊維製品の輸出も増大した。

OK です。

≪書き直し≫

A諸外国から紡績機械や原料の綿花を輸入することで,紡績業において産業革命を達成した。また,重工業が未発達で,軍需品などを欧米に依存していたため,大幅な輸入超過となった。

OK です。