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年度 1999年

設問番号 第1問

テーマ 戸籍作成と律令国家の軍事体制の特色/古代


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設問の要求は,(1)7世紀後半の戸籍作成の進展,(2)律令国家の軍事体制の特色。条件として,(a)両者の関連,(b)背景となった「天武の個人的経験」「古代の国際的経験」,をふまえることが求められている。

(1)「戸籍作成の進展」について述べなければならないのだから,天智朝の庚午年籍,持統朝の庚寅年籍の両方とも答案のなかで具体的に触れておかなければならない。

(2)「律令国家の軍事体制の特色」とある。単に兵役・軍団制の内容を説明するのでは「特色」について述べよという要求には応えたことにならない。前後の時代と比較して律令国家のもとでの軍事体制(軍団制)がどのような特色をもっていたかを明確にしておく必要がある。前の時代(氏姓制度)の軍事体制についての知識はほとんどないと思うので,軍団制解体以降の健児制や平安中期に登場する武士と対比すると,兵力を(豪族ではなく)豪族の支配下にあった人民(農民)に求めたことに特色があることに気づくだろう(1980年度第1問を参照のこと)。

(a)戸籍と軍団制の関連について。
問題文に「正丁3〜4人を標準として1戸を編成した」とあることに注目しよう。そして,「成年男子3〜4人に1人の割合で兵士が徴発された」(山川)ことは周知のはずだから,そこから両者の関連を考えよう。“戸を単位として徴兵”“戸はほぼ兵士1人を徴兵するための単位”などの表現が可能である。

(b)「天武の個人的経験」「古代の国際的経験」
それぞれが何を指すのかは,説明の必要もないだろう。
「天武の個人的経験」…壬申の乱という大規模な内乱をへて権力を掌握
「古代の国際的経験」…白村江での敗戦とそれによる国際的緊張の高まり
これらのデータを答案のなかで使う際,「「政ノ要ハ軍事ナリ」の原則には,天武の個人的経験を越えた古代の国際的経験が集約されているとみるべきであろう。」という表現を活用するとよい。内容を少し補足しておく。
天武天皇は,軍事力の掌握を政治の要諦ととらえていたが,その判断は“壬申の乱という大規模な内乱をへて権力を掌握した”という天武の個人的経験だけによるものではない。唐の対外膨張策に対抗した形での百済復興の支援とその失敗(白村江の敗戦)によって生じた国際的緊張が国内におよぼした権力集中への圧力を認識したうえでの判断であった。白村江の敗戦後に即位した天智天皇のもとでは,唐・新羅との軍事的緊張に対応しうる軍事体制の創出をめざして,最初の本格的戸籍である庚午年籍が作成され,国造たちの支配下の人民を戸籍に登録して人民支配の最小単位である郷戸に編成するという作業が進められる(それが同時に国造層の豪族を評の官人[のちの郡司]へと再編していく作業でもあった)。律令体制の基礎が“戸籍作成にもとづく個別人頭支配”であることを考えれば,この天智朝の施策が,天武が律令国家の確立にむけた作業を着手するうえでの前提状況となっていたことを了解しえるだろう。


(解答例)
白村江の戦での敗戦による対外的危機の高まりを背景に,天智天皇のもとで軍事体制の強化のための人民把握が進められ,最初の全国的戸籍である庚午年籍が作成された。壬申の乱を勝ち抜いて権力を掌握した天武天皇は,それを基礎として豪族支配下の人民に基盤をおく軍事体制の構築を進め,その事業は持統天皇のもとで庚寅年籍として完成した。こうして全人民は,兵士を徴発するための単位として編制された戸のもとに正丁3〜4人を標準として組織された。(210字)

【添削例】

≪最初の答案≫

7世紀後半、日本は白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れ、国防の強化を余儀なくされた。加えて、壬申の乱に勝利して即位した天武天皇は政治における武力の重要性を痛感していたので、軍事体制の整備には一層力が入れられた。この時代の軍事体制の特色は、一般農民である正丁を一戸につき、一人の割合で徴兵していたことがあげられる。また、これを行うためには、正確に人民の把握が必要で、庚午年籍や庚寅年籍などの戸籍が次々と製作された。

前半の白村江の戦い・壬申の乱に関して説明した部分は OK です。

問題は、「この時代の軍事体制の特色は……」以下の文章です。
(1)「一般農民を」「徴兵していたこと」
(2)「一戸につき,一人の割合で徴兵していたこと」
(3) 徴兵のためには「人民の把握が必要で」,そのことが戸籍作成の動機であったこと
これらのデータそのものは全て適切なのですが,もう少し表現上の工夫が欲しい。

まず(1)については,(地方)豪族の軍事力に依拠するのではなく,(地方)豪族配下の人民を軍事力の基盤としていたことをより明確に表現しておきたい。
この点がこの設問のポイントの1つめです。
もちろん,「一般農民」という表現でその点は表現できているのですが,「一般農民である」は「正丁」の説明として使われているので(正丁そのものは地方豪族も一般農民も区別なく含まれています),やや説明としては弱いと言えます。

そして(2)です。この表現だと,兵士をほぼ一人徴兵するための単位として戸が人為的に編成されたことが見えてきません。問題文のなかに「正丁3〜4人を標準として1戸を編成した」とありますが,戸は軍事動員上の便宜を考えて人為的に編成されたものなのです。
この点がこの設問のポイントの2つめです。

そして,以上の点を考えると,(1)→(3)→(2)という順序で説明する方が設問の要求に従いやすいと言えます。

≪書き直し≫

7世紀後半,白村江の戦いでの敗戦による国際的緊張の高まりによって日本は国防の強化を余儀なくされた.加えて,壬申の乱に勝利して即位した天武天皇は政治における武力の重要性を痛感していたため,軍事体制の整備に力点を置き,その基盤を豪族支配下の農民に求めた.そのため人民把握の必要性が生じ,庚午年籍・庚寅年籍の戸籍が作成され,戸は正丁を徴兵する単位とされた.

君自身も書いていたように,この問題は文章がなかなかすっきりとまとまってくれない。そういう意味で非常に答案の書きにくい問題です。
君の答案でいえば,“白村江の戦いでの敗戦により国防の強化を余儀なくされた”ことと,“政治における武力の重要性を天武が痛感していた”こととの関連が,読み取りにくい。この辺が苦労するところの一つです。

そのあとの,軍事体制の整備,基盤=豪族支配下の農民,人民把握の必要性が生じたこと,についての指摘は OK です。ただ,「農民」と「人民」という2種類の言葉が併存している点がややいただけない(河合塾の解答例もそうなっているんですが)。これだと,「農民」と「人民」とが同じなのか違うのか,全く分からない。どちらかの表現に統一すべきです。

最後の「戸は正丁を徴兵する単位とされた」についてです。「戸は徴兵の単位とされた」で意味は十分に通じますから,「正丁」についての指摘は不要です。
それから,最後の文章は「人民把握の必要性が生じ」で始まっているのだから,“人民が戸に組織されたこと”と“その戸は1戸1兵士を基準に人為的に編成されたこと”の両方のデータを含んだ表現にしておく方がよい。