年度 2001年

設問番号 第1問


次の(1)(2)の史料と文章を読み,下記の設問に答えなさい。

(1) (表) 尾張国智多郡冨具郷和尓[に]部臣人足
  (裏) 調塩三斗 天平勝宝七歳九月十七日
(2)一,進上する調絹の減直(価値を低めに設定すること)ならびに精好の生糸について裁断を請う事
右,両種の貢進官物(調の絹と生糸)の定数は,官の帳簿に定めるところである。ただし,先例では,絹1疋を田地2町4段に対して割り当て,絹1疋の価値は米4石8斗相当であった。ところが,(藤原元命が国守となってから)実際に絹を納める日に定めとする納入額は,絹1疋を田地1町歩余に割り当てている。また精好の生糸にいたっては,当国の美糸を責め取って私用の綾羅を織り,他国の粗糸を買い上げて政府への貢納に充てている。

平城宮から出土する奈良時代の木簡には,地方からの貢納品に付けられて都に運ばれてきた荷札が多数見られる。(1)は,調として貢納された塩(調塩)の荷札で,調塩を課された者の本籍地と氏名,納めた塩の量,納めた日付が記されている。
調の課税は,平安時代になっても存続した。(2)は,同じ尾張国で国守藤原元命の暴政を訴えて988年に朝廷に提出された「尾張国郡司百姓等解文」の一部(現代語訳)である。元命が先例を破って非常な重税を課していることを記しているが,平安時代中期には,調という税のあり方が律令制本来の姿とは変化していたことがわかる。

設問
奈良時代と平安時代中期で,調の課税の方法や,調が徴収されてから中央政府に納入されるまでのあり方にどのような違いがあったか。(1)(2)の史料からわかることを,5行以内で具体的に説明しなさい。