年度 2005年

設問番号 第2問


次の文章は、鎌倉幕府執権北条泰時が、弟の六波羅探題重時に宛てて書き送った書状の一節(現代語訳)である。これを読んで、下記の設問A・Bに答えなさい。

この式目を作るにあたっては、何を本説(1)として注し載せたのかと、人々がさだめて非難を加えることもありましょう。まことに、これといった本文(2)に依拠したということもありませんが、ただ道理の指し示すところを記したものです。(中略)あらかじめ御成敗のありかたを定めて、人の身分の高下にかかわらず、偏りなく裁定されるように、子細を記録しておいたものです。この状は、法令(3)の教えと異なるところも少々ありますが、(中略)もっぱら武家の人々へのはからいのためばかりのものです。これによって、京都の御沙汰や律令の掟は、少しも改まるべきものではありません。およそ、法令の教えは尊いものですが、武家の人々や民間の人々には、それをうかがい知っている者など、百人千人のうちに一人二人もおりません。(中略)京都の人々が非難を加えることがありましたなら、こうした趣旨を心得た上で、応答してください。
(注)(1)本説、(2)本文:典拠とすべき典籍ないし文章
   (3)法令:律令ないし公家法

設問
A 「この式目」を制定した意図について、この書状から読みとれることを、2行以内で述べなさい。
B 泰時はなぜこうした書状を書き送ったのか。当時の朝廷と幕府との関係をふまえて、4行以内で説明しなさい。