年度 2014年

設問番号 第2問


次の⑴〜⑷の文章を読んで,下記の設問に答えなさい。

⑴ 応仁の乱以前,遠国を除き,守護は原則として在京し,複数国の守護を兼ねる家では,守護代も在京することが多かった。乱後には,ほぼ恒常的に在京した守護は細川氏だけであった。
⑵ 1463年に没したある武士は,京都に在住し,五山の禅僧や中下級の公家と日常的に交流するとともに,立花の名手池坊専慶に庇護を加えていた。
⑶ 応仁の乱以前に京都で活躍し,七賢と称された連歌の名手には,山名氏の家臣など3人の武士が含まれていた。
⑷ 応仁の乱以後,宗祇は,朝倉氏の越前一乗谷,上杉氏の越後府中,大内氏の周防山口などを訪れ,連歌の指導や古典の講義を行った。

設問
応仁の乱は,中央の文化が地方に伝播する契機になったが,そのなかで武士の果たした役割はどのようなものであったか。乱の前後における武士と都市との関わりの変化に留意しながら,5行以内で述べなさい。


解法のヒント