年度 2015年

設問番号 第3問


次の⑴~⑷の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えなさい。

⑴ 江戸幕府は,1724年以降,主要な商品について,大坂の町人が江戸へ送った量を調査した。次の表は,1730年まで7年間の調査結果を,年平均にして示したものである。

繰綿〔くりわた〕95,737本447俵
木綿(綿布)13,110箇薪〔たきぎ〕0
62,619樽魚油60樽
醤油136,526樽味噌0
219,752樽19,218俵
『大阪市史』(第一)のデータによって作成
⑵ 江戸時代には,綿〔わた〕や油菜(菜種)が温暖な西日本で盛んに栽培され,衣類や灯油の原料となった。
⑶ 綿から摘まれた綿花には種子(綿実)が入っていたが,それを繰屋〔くりや〕が器具で取り除き,繰綿として流通した。繰綿や木綿は,綿の栽培されない東北地方へも江戸などの問屋や商人を介して送られた。
⑷ 当時,菜種や綿実を絞って灯油用の油をとったが,摂津の灘目〔なだめ〕には水車で大規模に絞油を行う業者も出現した。上総の九十九里浜などでは,漁獲した鰯を釜で煮て魚油をとり,これも灯火に用いられたが,質が劣るものだった。

設問
A ⑴の表では,大量に送られた商品とそうでない商品との差が明瞭である。繰綿・木綿・油・醤油・酒の5品目が大量に送られているのは,どのような事情によるか。生産・加工と運輸・流通の両面に留意して,3行以内で述べなさい。
B 一方,炭・薪・魚油・味噌の4品目は,とるに足らない量で,米も江戸の人口に見あった量は送られていない。それはなぜか。炭など4品目と米とを区別して,2行以内で述べなさい。


解法のヒント