年度 1979年

設問番号 第4問


次の文章は、ある政治家の回想録の一節である。これを読んで下記の設問に答えよ。

当日、伊藤総理提議の要領は、〔第一〕たとへあらたに敵国増加の不幸に遭遇するも、此の際断然露、独、仏の勧告を拒絶する乎、〔第二〕ここに列国会議を招請し、遼東半島の問題を該会議に於て処理する乎、〔第三〕此の際むしろ三国の勧告は全然これを聴容し、清国に向ひ遼東半島を恩恵的に還付する乎の三策の中、其の一を選むべしと云ふあり。出席文武各臣は孰れも反覆丁寧に討論を尽したる末、(中略)遂に其の第二策、即ち列国会議を招請して本問題を処理すべしと廟議あらあら協定し、伊藤総理は即夜広島を発し、翌二十五日暁天、余を舞子に訪ひ#、御前会議の結論を示し、尚ほ余の意見あらばこれを聴かむと云へり。(中略)然れども、伊藤総理が御前会議の結論としてもたらし来れる列国会議の説は、余の同意を表するに難しとしたる所たり。其の理由は、今ここに列国会議を招請せむとせば、対局者たる露、独、仏三国の外、少なくとも尚ほ二三大国を加へざるべからず、而して此の五六大国が所謂列国会議に参列するを承諾するや否や、良しや孰れもこれを承諾したりとするも、実地に其の会議を開くまでには許多の日月を要すべく、而して日清講和条約批准交換の期日は既に目前に迫り、久しく和戦未定の間に彷徨するは徒に時局の困難を増長すべく、又凡そ此の種の問題にして一度列国会議に付するに於ては、列国おのおの自己に適切なる利害を主張すべきは必死の勢にして、会議の問題果たして遼東半島の一事に限り得べきや、あるひは其の議論枝葉より枝葉を傍生し、各国互に種々の注文をもちだし、遂に下関条約の全体を破滅するに至るの恐れなき能はず、是れ我より好むで更に欧洲大国の新干渉を導くに同じ非計なるべし、と云ひたるに、伊藤総理、松方野村両大臣も亦余の説を首肯したり。然らば如何に此の緊急問題を処理すべきかと云ふに至り、広島御前会議に於て既に方今の形勢あらたに敵国を増加すること得計に非らずと決定したる上は、露、独、仏三国にして其の干渉を極度まで進行し来るべきものとせば、兎に角我は彼等の勧告の全部若くは一部を承諾せざるを得ざるは自然の結果なるべし、而して我が国今日の位置は、目前此の露、独、仏三国干渉の難問題を控へ居る外、尚ほ清国とは和戦未定の問題を貽し居る場合なれば、若し今後露、独、仏三国との交渉を久しくするときは、清国あるひは其の機に乗じて講和条約の批准を抛棄し、遂に下関条約を故紙空文に帰せしむるやも計られず、故に我は両個の問題を確然分割して、彼此相牽連する所なからしむべき様努力せざるべからず、これを約言すれば、三国に対しては遂に全然譲歩せざるを得ざるに至るも、清国に対しては一歩も譲らざるべしとの結論に帰着し、野村内務大臣は即夜舞子を発し広島に赴き、右決議の趣を聖聴に達し、ついで裁可を経たり。

(注)#舞子は兵庫県にある保養地。この回想録の筆者は、この時病気のため舞子で療養していた。

〔設問〕

「露、独、仏の勧告」に対する日本政府の対応策が、最終的に決定されるに至る論議の経過について、この回想録の筆者の情勢判断を中心に、250字以内(句読点も1字に数える)で説明せよ。