年度 1981年

設問番号 第1問


「だいたい今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。それ以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これを本当に知っていれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります。」 これは、東洋学者として知られた内藤湖南が、1921(大正10)年、「応仁の乱について」と題して行なった講演の一節である。この部分だけを取り出してみると、あるいはあまりにも極端な議論と思われるかもしれない。しかし、この発言の前で、湖南はほぼ以下のころを述べて、その主旨を説明している。

(1) 歴史とは、ある一面からいえば、いつまでも下級人民の向上発展してゆく過程であるといってよい。日本の歴史もまたそうであるが、中でも応仁の乱は、そのもっとも大きな記録である。

(2) 元来、日本の社会は、地方に多数の有力な家があって、そのおのおのを中心につくられた集団から成り立っていた。ところが今日、多数の華族のうちで、公卿華族を除いた大名出身の家の大部分は、みな応仁の乱以後に出て来た家である。応仁の乱以前にあった家の多数は、応仁以後の長い争乱のため、ことごとく滅亡している。応仁の乱以後百年ばかりの間は、日本全体の身代の入れかわりである。こういうことから考えると、応仁の乱は日本をまったく新しくしてしまったのだ。

 以上に要約した論旨を参考にしつつ、各人の自由な視点から、湖南の見解を、400字(句読点も1字に数える)以内で論評し、答案用紙に記入せよ。