年度 1982年

設問番号 第3問


下の文章は、美濃部達吉「我が議会制度の前途」(『中央公論』昭和9年1月号)の一節である。満州事変以後政党解消に至るまでの時期、政党がその力を次第に失っていったのには、ここで指摘されていることを含め、さまざまの要因があったと思われる。それら諸要因について200字(句読点も1字に数える)以内で述べよ。

 過去において、議会制度が能く偉大な働きを為し、能く社会の事情に適合し得た所以は、自由競争主義が国民の経済生活の基調を為して居たが為である。議会の問題とせらるゝものは、主としては、(中略)政治問題であって、経済生活は原則としては国民の自由活動に放任せられて、(中略)随って又議会の問題となることも稀であった。斯かる時代においては、政治家の資格としては人心を収攬し得ることの外には、唯健全な常識を備ふるを以て足れりとして居た。(中略)
 併し時勢は変化した。経済上における自由放任主義は最早之を維持することを得なくなった。(中略)経済を離れて政治を論ずることは全く不可能となった。金融、産業及労働に対する国家統制の問題が、国政の最も主要な題目を為すに至り、随って又経済に関する知識は、政治家の必須の資格を為すことゝなった。
(中略)それは数百人から成る素人政治家の集まりたる議会の自由討論を以て決するに適する問題ではなく、又議会において養成せられた常識政治家の処理するに適する問題でもない。