年度 1983年

設問番号 第2問


 歴史学を一生の仕事とする決意を固めるのと、ほとんど同じころ、私は高等学校の教壇に立った。私にとって、これが初めての教師経験であり、生徒諸君の質問に窮して教壇上で絶句、立往生することもしばしばであったが、その中でつぎの二つの質問だけは、鮮明に記憶している。
「あなたは、天皇の力が弱くなり、滅びそうになったと説明するが、なぜ、それでも天皇は滅びなかったのか。形だけの存在なら、とり除かれてもよかったはずなのに、なぜ、だれもそれができなかったのか」。これは、ほとんど毎年のごとく、私が平安末・鎌倉初期の内乱、南北朝の動乱、戦国・織豊期の動乱の授業をしているときに現われた。伝統の利用、権力者の弱さ等々、あれこれの説明はこの質問者を一応、だまらせることはできたが、どうにも納得し難いもの、私自身の心の中に深く根を下していったのである。
 もう一つの質問に対しては、私は一言の説明もなしえず、完全に頭を下げざるをえなかった。
なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか。他の時代ではなく、どうしてこの時代にこのような現象がおこったのか、説明せよ」。
 この二つの質問には、いまも私は完全な解答を出すことができない。

(網野善彦著『無縁・公界・楽』の序文より)

 上記の文章中の二つの疑問は、高等学校で日本史を学んだ誰もがいだく疑問であろうし、日本の歴史学がいまだ完全な解答をみいだしていないものであると思われる。
 この二つの質問のうち、下線部分の質問にたいして、歴史の流れを総合的に考え、自由な立場から各自の見解を8行以上13行以内でのべよ。