年度 1986年

設問番号 第3問


次の文章は、式亭三馬作『浮世風呂』序言の一部を読みやすく書き改めたものである。これを読んで、下記の設問に答えよ。

 つらつ鑑みるに、銭湯ほど近道の教えなるは無し。その故如何となれば、賢愚・邪正・貧福・貴賤、湯を浴びんとて裸形になるは、天地自然の道理、釈迦も孔子も、(1)おさんも権助も、生まれたままの姿にて、惜しい欲しいも西の海、さらりと無欲の形なり、欲垢と煩悩と、洗い清めて、(2)陸湯を浴びれば、(3)旦那様も折助も、どれかどれやら同じ裸体。(中略)色好みの若い者も、裸になれば、前をおさえて、おのれから恥を知り、猛き武士の、頭から湯をかけられても、人込みじゃと堪忍を守り、目に見えぬ鬼神を片碗に彫りたる侠客も、ごめんなさいと(4)石榴口にかがむは銭湯の徳ならずや。心ある人に私あれとも、心なき湯に私なし。たとえば、人、密かに湯の中にて撒屁をすれば、湯はぶくぶくと鳴りて、たちまち泡を浮み出す。(中略)湯の中の人として、湯の思わくをも恥ざらめや。すべて、銭湯に(5)五常の道あり。

(注)(1)下女も下男も。(2)体を洗う湯。(3)武士もその下男も。
   (4)湯ぶねへの入口で、体をかがめて出入する。
   (5)儒教でいう、仁・義・礼・智・信

設問

 銭湯(公衆浴場)こそ、五常の道が守られる場であるという、三馬の上のような主張は、厳しい身分制度のもとにあった、当時の社会的状況のなかで、どのような意味を持つと考えられるか。5行以内で述べよ。