年度 1987年

設問番号 第2問


下の文章とグラフを読み、設問A、Bに答えよ。

 治承4年(1180)、源頼朝が伊豆国に、義仲が信濃国に兵を挙げた。早速、平氏は追討使を東国に派遣するとともに、奥州の藤原氏、越後国の城氏と連絡をとり、彼らに頼朝・義仲の追討を託した。やがて城氏は信濃に入り、義仲と戦って敗れるが、以後、東国は全くの戦乱状態に陥った。元暦元年(1184)になると、頼朝は北陸道にまで支配圏を伸ばし、所々に鎌倉から地頭を送りこんでいった。

 グラフは、城氏の根拠地の一つであった摂関家の荘園、越後国白河荘の作田数の変化を、建久8年(1197)に荘官が荘園領主ヘ提出した報告書から作成したものである。作田数とは、荘園領主が年貢・公事を収納する基準となる田数のことで、治承4年に限って報告のないのは、城氏がすベて兵糧米にとってしまったからである。

越後国白河荘の作田数の変化

設問A 朝廷は治承5年に養和、翌年に寿永と改元したが、報告書では治承の年号がそのまま使われている。それは何によると考えられるか。2行以内で答えよ。

設問B グラフから荘園と東国武士団との関係を読みとり、そこに見出される武家政権の成立の意義を考え、5行以内で記せ。