年度 1989年

設問番号 第1問


下の文章は、北畠親房が律令制いらいの朝廷官職の大綱を解説した『職原抄』の一節を意訳したものである。これを読んで下記の設問に答えよ。

検非違使 のちに検非違使庁ともいわれるようになる。……淳和天皇の天長年間に(正確には前代の嵯峨天皇の弘仁年間のことである。天長年間は、検非違使別当が置かれ、検非違使庁に発展する出発点となった時期)、はじめてこれが置かれた。……朝廷がこれを設置してから、しだいに衛府の追捕、弾正台の糾弾、刑部省の判断(判決ないし処断)、左右京職の訴訟などは、検非違使庁がいっさい扱うようになった。したがって、これは国家の枢機であり、歴代の朝廷はこれを重職として扱うようになった。
蔵人所 嵯峨天皇の弘仁年間にはじめて置かれた。……四位の殿上人の中からとくに才能のある人を選んで蔵人頭とする。……およそ内廷のことは、蔵人頭以下の蔵人たちが奉公する。…したがって、蔵人頭は古来重職である。また蔵人頭は内廷以外の種々の行政にもあずかるようになったので、力量のない者には希望しても無理な仕事である。

(備考)意訳するにさいし、語句・表現や原文の配列を変え、文章を省略補足した個所がある

設問

(A) 検非違使庁と蔵人所の形成過程について、上の文章を参考としながら、4行以内で説明せよ。

(B) 検非違使庁や蔵人所などの令外官が形成されるのは、どのような歴史的背景によるものと考えられるか。4行以内で説明せよ。