年度 1990年

設問番号 第1問


古代の農民はしばしば浮浪・逃亡を行った。それに関する以下の(1)〜(5)の文章を参考にして、下記の設問に答えよ。

(1) 689(持統3)年に、政府は、国司に対して、「今年の10月から、戸籍を造れ。9月までに、浮浪を探し出してつかまえよ」と命令した。

(2) 732(天平4)年に作成された山城国愛宕郡の計帳には、350人ほどの住民の名が見え、その約10パーセントにあたる人々が逃亡・移住していることが記されている。

(3) 785(延暦4)年の越中国のある東大寺領荘園に関する文書には、その北の境界の標識として、浪人の家が記載されている。9世紀中ごろには、この荘園は、耕作していた浪人が他の荘園で耕作するようになったために、経営が衰退してしまったという。

(4) 797(延暦16)年に、政府は、「浮浪した者、各地の荘園に集まり、その主の勢力を借り、調庸を納めることを免れている。国司・郡司はその人数を調ベ、毎年、浮浪人帳に登録し、調庸を徴収せよ」と命令した。

(5) 881(元慶5)年に、政府は、中央官司の運営のために畿内諸国に設置した田の経営を、一般の農民とともに浪人にゆだねることとした。

[設問]

(A) 浮浪・逃亡に対して、政府がとった政策は、どのように変化していったと考えられるか。4行以内で述ベよ。

(B) 政府の政策の変化の背景には、浮浪・逃亡した者たちのどのような活動があったと考えられるか。2行以内で述べよ。