年度 1992年

設問番号 第1問


次の文章を読み、下記の設問に答えよ。

 西暦660年百済が唐・新羅の連合軍の進攻によって滅亡したとき、百済の鬼室福信は日本の朝廷に援軍を求め、あわせて、日本に送られてきていた王子余豊璋を国王に迎えて国を再興したい、と要請した。日本の朝廷はこれに積極的に応え、翌年豊璋に兵士を従わせて帰国させ、王位を継がせた。次いで翌662年には、百済軍に物資を送るとともに、みずからも戦いの準備をととのえた。663年朝廷はついに大軍を朝鮮半島に送り込み、百済と連係して唐・新羅連合軍に立ち向かい、白村江の決戦で大敗するまで、軍事支援をやめなかった。

〔設問〕このとき日本の朝廷は、なぜこれほど積極的に百済を支援したのか。下の年表を参考にしながら、国際的環境と国内的事情とに留意して5行以内で説明せよ。

612隋、高句麗に出兵する(→614)。
618隋滅び、唐起こる。
624唐、武徳律令を公布する。高句麗・新羅・百済の王、唐から爵号を受ける。
637唐、貞観律令を公布する。
640唐、西域の高昌国を滅ぼす。
645唐・新羅の軍、高句麗に出兵する。以後断続的に出兵を繰り返す。
648唐と新羅の軍事同盟成立する。
660唐・新羅の連合軍、百済を滅ぼす。
663白村江の戦い。
668唐・新羅の連合軍、高句麗を滅ぼす。

解法のヒント