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筑波大学 個別学力検査等試験問題【前期日程】(日本史B)

年度 2010年度(平成22年度)  設問番号 第2問

テーマ 中世における日中関係の推移


14〜16世紀における日本と中国の関係の推移について,次の(ア)〜(エ)の語句を用いて論述せよ。解答文中,これらの語句には下線を付せ。ただし,語句使用の順序は自由とする。

(ア)寧波の乱  (イ)「本字壱号」  (ウ)永楽通宝  (エ)倭寇


【解答例】
14世紀,蒙古襲来以来の軍事的緊張が続き,日本は元と国交がなかったものの民間商船の往来がさかんで,鎌倉・室町幕府が公認の貿易船を派遣する一方,倭寇による海賊行為も活発であった。14世紀後半に明が成立し,朝貢と倭寇禁圧を求めたことを契機として,15世紀には室町幕府は明と新しく国交を結び,朝貢形式の勘合貿易を開始した。日本から派遣された遣明船は,「本字壱号」など明から交付された勘合を所持することを義務づけられ,永楽通宝に代表される銅銭,生糸,陶磁器などの唐物をさかんに輸入した。しかし,16世紀前半に貿易の実権争いから寧波の乱が生じ,16世紀半ばには大内氏が滅亡して勘合貿易は途絶した。その前後から中国人密貿易商を主体として倭寇が再び活発化し,新たにポルトガル人が日中間の中継貿易に参入するなど,民間商船の往来がさかんとなったものの,16世紀末には豊臣政権が朝鮮出兵を行って明とも交戦し,国交関係の途絶が続いた。