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筑波大学 個別学力検査等試験問題【前期日程】(日本史B)

年度 1999年度(平成11年度)  設問番号 第2問

テーマ 建武新政権/中世


次の文章は「梅松論」の一節である。文中の下線部分(1)〜(3)の意味するところを具体的に説明しながら,この時期の政治状況について論述せよ。400字以内で解答せよ。

 爰(ここ)に京都の聖断を聞奉るに,記録所・決断所ををかるゝといえども,近臣臨時に内奏を経て非義を申行間,(1)綸言朝に変じ暮に改りしほどに諸人の浮沈掌を返すがごとし。或いは先代滅亡のときに遁来(のがれきた)る輩,又高時の一族に被官の外は,寛宥の儀を以て死罪の科を宥めらる。又天下一同の法を以て安堵の綸旨を下さるゝといへ共,所帯をめさるゝ輩恨を含む時分,(2)公家に口ずさみあり。尊氏なしという詞を好みつかひける。抑(そもそも)累代叡慮を以て,関東を亡されし事は武家を立らるまじき御為なり。然るに直義朝臣太守として鎌倉に御座有ければ,東国の輩是に帰服して京都には応ぜざりしかば,一統の御本意今にをいて更に其益なしと思食(おぼしめし)ければ,武家より又公家に恨をふくみ奉る輩は頼朝卿のごとく天下を専にせむ事をいそがしく思へり。故に(3)公家と武家水火の争にて元弘三年も暮にけり。(群書類従本による)