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悪党とはなにか

最近の研究によると,
「悪党」とは取り締まろうとした側によって付けられた呼称とのことです。
御成敗式目で守護の職権を規定した条文には,
 大番催促・謀叛・殺害人<付たり夜討・強盗・山賊・海賊>等のことなり。
とありますが,
このうち“夜討・強盗・山賊・海賊”をもともとは「悪党」と呼んだのだとされています。

ただここで注意しておかなければならないのは,
守護が一国内の治安維持を担当する軍事警察官だとしても,
地頭の設置されていない荘園−つまり鎌倉幕府の勢力が及ばない地域−に関しては本来守護は介入できなかったということです。
地頭の設置されていない荘園については,
荘園領主が責任もって治安維持をおこなうことになっていたのです。
ですから,
荘園現地でその秩序を乱すような動きがおこると,
荘園領主は預所や雑掌を現地へ派遣し,
秩序の回復をはかっていました(地頭の荘園侵略に直面したときも同様ですが)。

ところが,
鎌倉後期になると事態が変化してきます。
荘園領主が単独では荘園現地の秩序を維持できなくなってくるのです。

現地の荘官が,土地・農民に対する直接支配権の確保をめざして荘園領主の支配権(年貢収納権など)を侵害しようとする動きみせはじめるだけでなく,
それを抑圧しようとする荘園領主に対し,
近隣の地頭・荘官層などと提携して(→党や一揆を結ぶわけです)武力にうったえて敵対する動きを強めてくるからです。

そうした,個別の荘園の枠をこえた地縁的な結びつきを基盤として荘園領主の支配に敵対しようとする動きは,
蒙古襲来を機に高まった神仏領興行(寺社領を対象とする徳政,つまり寺社=荘園領主による荘園現地に対する支配権の強化を朝廷・幕府が保障しようとする動き)などのなかで,
より広汎な形で広がっていきます。
# 要するに,
# 荘園公領制という1つの土地に複数の権利が重層的にかさなりあう職の秩序のもとで,
# 荘園領主か荘官・地頭層かのいずれかへと職を集中させようとする動き(職の一円化)が進んでいくのが鎌倉後期ですが,
# そこに「悪党」問題が発生する背景があったわけです。

そうしたなかで荘園領主は,
自らに敵対する荘官や外部から荘園に侵入するものたちを,
朝廷を通じて幕府に対して「悪党」として告発し,
幕府による討伐をもとめることになります。
もともと鎌倉幕府は朝廷の支配や荘園・公領の維持を軍事警察面で助ける存在だったわけですが,
荘園領主は,そうした性格をもつ幕府をフルに活用しようとしたのだと言えます。
# というわけで,「悪党」を簡単に規定してしまえば,“荘園領主や幕府の支配 # に敵対し,武力にうったえて抵抗する武士集団”ということになる。

もっとも,
だからといって荘園領主が幕府に対して支配権を譲り渡してしまうというのではありません。
荘園領主の支配を補完するものとして幕府の介入を許容しようというわけです。
そこで「悪党」討伐は,
“朝廷の命令にもとづいて幕府が討伐にあたる”という形式をとることになっていました。
# 蒙古襲来を契機に鎌倉幕府は非御家人(本所一円地の住人)の動員権を獲得し,
# 元・高麗軍との戦闘や異国警固番役に動員していたが,
# その軍事動員の形式と類似する部分がある。
# 幕府は御家人の場合と同じように非御家人を動員したのではなく,
# 朝廷→荘園領主を通じて動員するという形式をとっていた。
# いわば一国平均役のようなものと言える。

こうして「悪党」問題を一つの契機として,
幕府は荘園領主の不入権を侵食し,
本所一円地に徐々に介入していったわけですが,
ということは必然的に,
荘園領主にかわって理非にもとづく裁定が幕府には求められることになります。

ところが,
得宗専制政治のもとで御内人が専権をふるう幕府は,
そうした理非にかなった裁定を貫徹することができません。
そのため,
幕府はその信頼を失墜させていくことになるわけです。
もっとも,
「悪党」の構成員のなかに地頭御家人が含まれておれば,
幕府・守護が討伐にあたるといっても,
なかなか討伐しきれるものでもないのですが。
[1999.10.9]