[テーマ/目次] 

知行国と守護大名について

メールでの質問への返答(2000年5月29日)です。
>>@知行国がよくわかりません。なぜこの制度が始まったのか、それとこの頃の土地制  
>>度は荘園公領体制が成立している頃だと思うのですが、知行国と荘園公領体制との関  
>>わりがよくわかりません。

まず知行国制の規定ですが,

 摂関などの公卿(上級貴族)に対し,特定の国の受領を推挙する権限(人選権)を
 与えてその国の統治の実権を掌握させ,その国(結局のところは国衙領)からの収
 益を得させる制度

です。そしてこうした権限・収益の対象となる国を知行国と呼びます(これに類似し
たものに院や女院に与えられた院宮分国というのがありますが,大学受験レベルでは
これも知行国だと理解しておいて問題はありません)。
この制度は,受領のもっていた権限・収益を公卿や院−−彼らは官位相当制の原則か
らすると受領(国守)には任じられることはない−−に委ねようとするもので,公卿
や院らへの朝廷からの給付の不足を補うために受領の収益を充てたのが始まりとされ
ています。

このような知行国制と荘園公領制との関係ですが,荘園から収益をえる領主として本
家と領家(さらにその下に預所)があるように,国衙領から収益をえる領主として知
行国主と受領(さらにその下に目代)があるという風にイメージしてください。とは
いえ,知行国は受領の任期間に限られるのが原則ですから,荘園のように領主が固定
しているわけではありません(重任によって次第に固定化していく例が多くなります
が)。

>>A守護大名の誕生について。半済令と守護請については何となく理解できるのですが  
>>、刈田狼藉の取り締まりと使節遵行権を与えられたことによって従来の守護がいった  
>>いどうなったのか、つまりその権限を得たことと守護が大名化していくこととの関わ  
>>りがどうもわかりません。

まず言葉の規定を確認しておきます。
刈田狼藉の取締…土地をめぐる紛争の際に相手方の稲を刈り取る行為を取り締
        まる(“相手方”と表現しましたが,同一の所領の支配権を
        めぐる紛争というのも想定できます)
使節遵行   …(所領紛争をめぐる)幕府の裁決を強制的に執行する

いずれの権限も所領(土地)をめぐる紛争に守護が何らかの形で介入することを公認
するものです。

鎌倉末期から南北朝期といえば,所領をめぐってさまざまな勢力のあいだで紛争が絶
えません。たとえば,地頭・荘官クラスの在地勢力と荘園領主のあいだの紛争もあれ
ば,地頭・荘官クラスの在地勢力どうしの紛争もあります。武士の所領相続法が分割
相続から嫡子単独相続へ移行しはじめると武士団内部に対立・抗争が発生するように
なると説明されますが,それは後者の在地勢力どうしの紛争の1パターンです。
このように紛争が絶えない在地社会において,地頭・荘官クラスの在地勢力はみずか
らの所領支配を確保すべく近隣どうしで対等な盟約を結ぶ動き(党や一揆)をみせま
すが,同時に守護などの有力武士と結ぶ(主従関係を結んで家臣となる)という動き
もあります。
そこで,もし守護が上記のような内容をもつ刈田狼藉の取締権や使節遵行権を幕府か
ら公認されていたらどうでしょう?紛争の当事者にしてみれば,守護を自分の味方に
つけることで(どちらに道理があるかに関りなく)紛争を自分に有利な形で解決する
ことが可能となります。その結果,在地の秩序は守護のもとで(ある程度)維持され
ます。つまり,守護による領国形成に大きく役立つというわけです。