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駅鈴は何に使う?

駅鈴

 駅鈴は,奈良時代から平安時代中期,律令制度がとられていた時代,都と各地の国府(国の官舎の所在地)を結ぶ道路に約16キロごとに設けられた駅(駅家)を利用する資格を示すものでした。駅には馬(駅馬)が常備されており,駅鈴をたずさえた官人が駅馬を利用できたのです。
 駅が整備された道路は,東海道・東山道・北陸道・南海道・山陽道・山陰道・西海道の7つありました。これらの道路は,地域の事情を無視して建設されたといってもよいほど直線的で,カーブというものがほとんど見られません。そして道幅が約10〜12メートルありました。現在の車道の一車線が約3メートルですから四車線道路ということになり,非常に広い道路です。中央政府による支配の貫徹を地方に見せつけようという意図がうかがえます。
 こうした道路をさまざまな人びとが往来していました。たとえば,地方で徴収された調や庸と呼ばれる租税を都まで運ぶ人夫たちがキャラバンを組んで移動していましたが,彼らには駅を利用する資格はありませんでした。駅を利用する資格があったのは,地方に赴任し行政にあたった国司のもとで作成された政情報告書を都へ届ける官人や,反乱や災害など緊急を要する情報伝達の使者だけでした。あくまでも駅は政府公用の施設だったのです。彼らは政府から駅鈴を支給され,駅で提供された駅馬の首に駅鈴をつけて鳴らしながら次の駅をめざしました。そして,大宰府からの緊急の使者の場合,4〜5日で都に到着することができたそうです。
 ところで,各地の駅は兵部省の管轄下にありました。今で言えば防衛省です。大陸に唐という大帝国が出現して朝鮮半島を圧迫するという状況のもとで,それに対応できる軍事体制を整えるために律令制度が導入されていったという事情も関連しているかのようです。
[2008.11.23登録]