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自由主義史観に関する私の第1印象を Nifty-Serve FKYOIKUS(教育実践フォーラム専門館)の社会科会議室 に 97/03/10 付けで書き込んだ発言です。

#02303/02304 GED01324 つかはら RE^2: 自由主義史観のどこが問題?
#( 6) 97/03/10 12:18 02301へのコメント


------> #2301 まことさん

どうも(^_^)

> > 自由主義史観について、その基本的考え方を教えていただけま
> > せんか。

簡単に説明してしまえば、
自由主義史観とは、その立場からみて肯定的な事例・解釈をもって 日本国の「大きな物語」を新しく作り上げようとする立場だといえます(なぜそれが「自由主義」なのか と いわれると、私が思うに、“社会主義賛美の史観(社会主義を共産党一党独裁のもとでの官僚支配と把握する)に対するアンチ という意識が強く働いているのではないでしょうか−単なる推測ですが)。

藤岡信勝氏が『国民の油断』のなかで次のように書いています。
「例えば「五箇条の御誓文」です。これは「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」 という大変開明的な方針の宣言でした。教科書では、明治維新の始まりを告げるこの出来事を書かざるを得ないので書くけれども、書いた直後に「しかし」と引 っ繰り返して、五榜の掲示で農民に対してはいままでどおりキリスト教を禁止した、要するに江戸時代と変わらなかったというまぜっ返しをするのです」(p.31)
「このように「しかし」という言葉を乱発してケチをつけなければいけないと思い込むのは、結局、明治維新をヨーロッパの市民革命に比べて非常に遅れたもの、 劣ったもの、歪んだものであったという歴史観に囚われているからです。
  ここにこそ、相変わらず西欧コンプレックスに囚われた一九三〇年代以降のマルクス主義歴史学者たちの発想が連綿として今に生き残っているのです」(p.32〜33)
後者の引用は こじつけでしかないなぁという印象をもつのですが、講座派の歴史学者がどうだという問題ではなく、五箇条の御誓文と五榜の掲示を併記することが「まぜっ返し」としてしか評価されないわけです。実際にどうだったかではなく、「私は、明治の時代というのは、公共のために自己犠牲をもいとわないという、武士が共有していた精神が、教育を通じて一般庶民にまで広がった、そういう時代だと思います」(同前書、p.33)という立場からみて都合の悪い部分は 見せないでおきましょう という姿勢だなと思います。
その意味で、否定的な事例・解釈をもふくみながら「大きな物語」をつくりあげる史観を“自虐史観”とよぶのなら、藤岡氏が提唱しようとするのは ナルシスティックに歴史をふりかえろうとする“自慰史観”とよぶのが、対比としてもキレイですね。いまの日本国の領域にこだわりながら ナショナルなものを腑分けしていったところに残るもの に対する不安感がそうさせるのかなという気が漠然とあります(これ以上うまく説明できませんが)。

ちなみに、盧溝橋事件が日中全面戦争につながっていった要因についての 次のような分析も“自虐史観”と評価されるのではないか と思います。
 元をただせば、種をまいたのは、満州事変前後から一九三六年に至る日本の中国政策に他ならなかった。やや極端になるが、リデル=ハートが「ヨーロッパを爆発寸前にもってくるのには五十年を要したが、いざ爆発させるには五日で十分だった」(リデル=ハート『第一次世界大戦』一三ページ)と述べているように、中国大陸での「爆発」も、明治いらいの日本が進めてきた大陸政策の帰結と見る方が当っているのかもしれない。
 (秦郁彦『盧溝橋事件の研究』東京大学出版会・1996年、p.379)
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つかはら