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上皇のあり方とその変化

メールでの質問への応答です(2005.10.26)。
>持統や嵯峨の時の上皇権力と院政期の上皇権力とでは、どういっ
>た点で相違点があるのでしょうか。

上皇(太上天皇)という地位が正式に登場したのは持統のときからなのですが,
まず,
(1)持統から平城までの上皇と,
(2)嵯峨以降とではあり方が異なります。

(1)は公的な地位で,天皇と同等の権限をもっていました。
したがって,
天皇と上皇とが対立すると朝廷の分裂につながってしまいます。
有名な事例が,
淳仁天皇・藤原仲麻呂と孝謙上皇の対立に由来する恵美押勝の乱,
嵯峨天皇と平城上皇が対立した薬子の変(平城上皇の変)です。

(2)嵯峨が淳和天皇に譲位して以降,
上皇は私的な存在となり,国政に関与する公的な資格を失います。

嵯峨は平城上皇の前例が二度と生じないよう,
天皇退位とともに自動的に与えられることとなっていた太上天皇の尊号を辞退します。
そして,淳和天皇から尊号をもらうという形式をとりました。
つまり,
天皇の意志によって初めて太上天皇(上皇)が存在するという形式を整えることで,
天皇への権力集中を示したわけです。

(3)院政期の上皇も,
こうした形式にそった存在で,私的な存在です。
ところが,それ以前の上皇と違い,
直系の子孫に皇位を継承させることをねらって譲位し,
天皇家全体のまとめ役=天皇家の家長という私的な立場から,
天皇の後見役であろうとしていました。
さらに,
受領層=中級貴族を側近として私的に取り込み,
政治力・経済力の基盤としています。
このように積極的に国政に関与しようとする姿勢をもつ点が
(2)の時期の上皇と異なります。