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閑院宮家がなぜ設立されたのか

メールでの質問への応答です(2000.07.09)。
> 閑院宮家について。  なぜ白石が閑院宮家を設置したかがちょっと、よくわかりま  
> せん。教科書には紫衣事件以来悪化していた朝幕関係の融和をはかったとか書いてあ  
> るんですが、宮家の設置がどういう効果があるのか、どういうことを目的としたこと  
> か、また白石の文治政治とどんな関わりを持つかちゃんと書いてある参考書がどこに  
> もないです。

天皇の兄弟や子・孫以外に,皇族のなかで特別に“親王”を名乗ることを許された家
があるのですが,それが宮家(親王家)と呼ばれるもので,江戸前期には伏見宮・桂
宮(八条宮)・有栖川宮しかありませんでした。それ以外には皇族が出家して寺院に
入る宮門跡というものありましたが,これも仁和寺・輪王寺など数が限られていまし
た。
こういう状態に対し,新井白石は,将軍家の永続を望むのならば皇室の繁栄をこそ図
るべきだと進言,それに基いて幕府が1万石を献上して新しい宮家の創設を図ったの
です。それが閑院宮家です。
つまり,皇室を安定させ,天皇の権威を尊重することによって,天皇と全国統治の権
限と権威を分かち合っている将軍の権威を媒介的に高めようとしたわけで,儀礼を整
備し,家格や身分の秩序を重視しようとする文治政治にかなった施策です。
ちなみに,山川の詳説日本史(改訂版)では次のように書かれています。
「短命と幼児将軍が続くなか,将軍個人の人格よりも,将軍職の地位とその権威をい
かに高めるかが,白石の大きな課題の一つであった。将軍家継と2歳の皇女との婚約
をまとめたり,閑院宮家を創設したのは,天皇家と結んで将軍の威信を高めようとし
たためである。」
[2000.07.09]