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刀狩で百姓は武装解除されていない!?

 豊臣政権が1588年に発令した刀狩令は,およそ次のような内容でした。

 一,諸国の百姓が刀や脇指,弓,槍,鉄砲,その他の武具をもつことを厳禁する。
 一,集めた刀と脇指は,無駄にするのではなく,今度,方広寺の大仏を建立するにあたっての釘やかすがいに使う。それゆえ,現世は言うまでもなく来世まで百姓は助かるだろう。
 一,百姓は農具だけを持ち,耕作に専念すれば,子々孫々まで安泰である。

 この結果,百姓たちは武装解除され,武器をもたない丸腰の状態に置かれた,と思っていませんか?
 実際には大量の武器が残されていました。たとえば,17世紀末,幕府が鉄砲調査に乗り出すほど,村々では鉄砲が所持されていたのです。この時に実施された刀狩りが不徹底だったのでしょうか? そうではなく,村々にある武器をすべて没収しようという政策ではなかったのです。
 まず,中世の村々には,ふだん村で暮らしながらも大名らに雇われて戦場に出向いていった人びと,武家奉公人と呼ばれる人びとがいました。豊臣政権にとって彼らも重要な戦力です。ですから,刀狩りはこれら武家奉公人を対象から除外して実施されました。
 次に没収しようとした武器についてです。第一条では武器すべてを対象としていますが,第二条では「刀と脇指」しか取り上げられていません。そして実際,没収されたもののほとんどが刀と脇指でした。刀と脇指の二本を腰に指して携帯することを帯刀といいますが,百姓には帯刀の権利を原則として禁じようとしたのです。そのうえで脇指の携帯は認められました。文字通り「刀」狩りでした。
 こうして,大名ら武家に奉公する者(兵)と,奉公せず耕作に従事する百姓(農)を,見た目で明確に区別しようというのが,刀狩りの狙いだったのです。
[2008.11.23登録]