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旧平価での金解禁

メールでの質問への応答です(2001.01.12)。
> 金解禁について勉強しているのですが、どうも今ひとつわからないことがありまして・・・
> どうして井上準之助は、旧平価で解禁しなければいけなかったのでしょうか?

理由はいくつか考えられます。

(1) 国際信用を落としたくないとの配慮
1917年以来の金輸出禁止状態のもとでは円為替相場は基本的に変動制となっていたことはいいでしょうか?
金本位制のもとでは貿易取引きの最終的な決済が金で行われることになっていましたが,
金輸出(金流出)が禁止されている状態では,
輸入超過の場合,円を売って外貨に交換して決済することが不可欠となりますから,
円為替相場は変動し,さらに下落していきます。
実際,
当時の相場の実勢は“円安”でした。
ところが,
円為替相場とは日本経済の国際信用の度合いを示す指標でもあるため,
“円安”ということは日本経済の国際信用が低下しているということです。
しかし,
第1次世界大戦を通じて日本は米英に次ぐ第3の強国となっています。
そのような国際的地位からすれば,
日本経済の国際信用=円為替相場をかつてのレベルで維持したいと思うのも一理あります。

(2) 産業合理化を推進して経済界の整理をはかるための外的環境づくり
当時の経済状態はどうだったかといえば,
第1次世界大戦時の大戦景気で日本経済が活気づいたのはよかったものの,
その後の戦後恐慌・震災恐慌と恐慌が連続するなか,
政府・日本銀行が過剰な特別融資を行って企業倒産の拡大を防止したこともあり,
経営基盤が弱く不良債権をかかえる企業が多く存続し,
工業の国際競争力がきわめて低い状態にありました。
井上蔵相は,
金解禁を断行するなかで,
そうした不良企業の整理を進めて工業の国際競争力を育成すること(すなわち経済界の整理・再編)をめざしたのです。
そのためにも,
当時の円為替相場(新平価)での解禁ではなく,
事実上の円切上げをともなう旧平価での解禁を断行し,
輸出に不利・輸入が拡大するという環境のもとに各企業をおくことで,
産業合理化(コスト削減などの努力により各企業の国際競争力を強化すること)を推進させようとしたわけです。
いわばショック療法により経済界の再編を促進しようとしたのです。

(3) 貨幣法の改正を回避する
金の輸出入が自由な状態(国際金本位制)のもとでは円為替相場は基本的に固定制となりますが,
金輸出解禁を断行して国際金本位制に復帰した際,どのような相場で固定制となるのか,
といえば,
それは国内法で規定された通貨(円)と正貨(金)との交換比率によって決まります。
当時の日本では,
その国内法とは1897年制定の貨幣法で,そこでは“1円=0.75Kの金”と定められています。
つまり,“0.75Kの金を日本では1円とよぶ”と貨幣法で定められていたのです。
それに対し,
たとえばアメリカでは“1ドル=約1.5Kの金”ですから,
貨幣法を基礎とする限り,
円とドルの交換比率(為替相場)は“1ドル=約2円”(正確には100円=49.85ドル)となります。
これが“旧平価”です。
ところが,
たとえば1928年の平均為替相場はといえば“1ドル=約2円15銭(100円=46.46ドル)”なんですが,
そのレート(新平価)を採用しようとすれば,
貨幣法を改正して円の正貨(金)との交換比率を変更しなければなりません。
しかし法改正には帝国議会での審議・承認が不可欠です。
浜口内閣はその面倒な手続きを避けようとしたのです。
なにしろ,
貨幣法の規定通りでいくならば法改正は必要なく,
大蔵省の指示だけでOKだからです。
[2001.01.12]