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乱・役・戦争・事変などの呼称について

メールでの質問への返答です(2000.2.9)。
>「〜の乱」「〜の役」「〜戦争」「〜事変」「〜の戦」というように、戦いなどの呼
>称が不統一になっているのには、それなりの訳があると思うんですが、明確な解答が
>のっている参考書がなくとても腑に落ちないでいます。それぞれの出来事自体に意味
>合いがあるのはわかるんですが、それが呼称にどのように結びついているのかわかり
>ません。ぜひ、教えてください。よろしくお願いします。

表記の使い分けに明確な違いはありません。
あとは表記する人それぞれの感覚・あるいは・意識によって変わります。
とはいえ,だいたいの基準はあります。

まず「戦争」です。
これは“国家または交戦団体が兵器を使用しておこなう戦闘行為”のことです。
明治後期以降においては国際法で決められたルールにのっとった戦闘行為(宣戦布告をおこなう)が「戦争」と呼ばれ(日清戦争や日露戦争など),
宣戦布告なしにおこなわれた場合は,戦争に準ずるものとして「事変」と称されます(満州事変や支那事変など)。
ただし,
宣戦布告がなくとも実質的には戦争と同じだとの判断から「戦争」との呼称が用いられる場合もあります(支那事変を日中戦争と表記 )。
また,
明治前期以前においては対外的な戦闘行為・武力行使や国内での内乱(いくつかの戦闘行為が連続しているもの)を指して「戦争」と呼びます(薩英戦争,石山戦争,戊辰戦争,西南戦争など)。
ただし,
「征伐(征討)」「役」「出兵」「合戦」「戦(戦い)」「乱」「事件」などの呼称も戦闘行為をあらわす表記として使われます。
「征伐(征討)」は“政府に背いたものを懲らしめる”という意味をこめた表記ですが(長州征伐など),
征伐(征討)の対象は“悪者”との価値判断が含まれます。
そこで,
たとえば長州征伐は,そうした価値判断を排除したうえで,幕府と長州藩のあいだでの戦闘行為である点を明確化するために“幕長戦争”と表記されることがあります。
「役」は他国との戦争(明治前期よりも以前に限定)や辺境(周縁地域)での戦争に対して使われます(文永・弘安の役,文禄・慶長の役,征台の役(=台湾出兵),前九年の役,後三年の役など)。
「出兵」は文字どおり“他国へ兵を出す”ことで,
朝鮮出兵,台湾出兵,シベリア出兵,山東出兵で用いられます。
「合戦」と「戦(戦い)」は“局地的な”戦闘行為をあらわすのに用いられることが多く(石山戦争=石山合戦は例外か?),
「乱」は政府・現政権に対する“反乱”や“武力による抵抗”という意味合いで用いられます(たとえば壬申の乱は大海人皇子による近江朝廷への反乱ですね)。
「事件」は戦闘行為を伴わない出来事の呼称としても用いられますが,
戦闘行為を伴ったり,武力が使用された出来事をさす場合に使われることもあります(特に江戸幕末期以降に多い)。
単発的な出来事に対して用いられることが多いのですが(四国艦隊下関砲撃事件や満州某重大事件・ノモンハン事件など),
長期にわたる戦闘行為(「戦争」)のなかの局地的な出来事であっても“謀略的”あるいは“偶発的”であれば「事件」という呼称が用いられます(柳条湖事件や盧溝橋事件)。

また,
「〜の変」という表記もあります。
これは“政治的な陰謀・政変”や“政権担当者側が不意に襲われた場合”に使われます。
後者では武力が用いられることもありますが,
本能寺の変や桜田門外の変・坂下門外の変・紀尾井坂の変などがそれにあたります。
ただし,
両者に該当せず,戦闘行為が伴っていたとしても「〜の変」と表記されるものもあります。
薬子の変と元弘の変がその代表です。
“天皇・上皇が乱=反乱を起こす道理がない”という立場(必ずしもそんなことはない)から「〜の変」(つまり単なる“政治的な陰謀・政変”)と表記されるわけですが,
薬子の変は平城上皇による嵯峨天皇に対する反乱なので“平城上皇の乱”,
元弘の変は後醍醐天皇による鎌倉幕府に対する「謀叛」(当時の史料にはこのように表記されている)=反乱なので“元弘の乱”と表記することもあります。
ちなみに,承久の乱は大正期ころからは“承久の変”と表記されることが多くなっていました。

おおよそ以上のような基準があるのですが,
実際はけっこう曖昧なまま使われています。
慣例としての表記でしかない場合が多いというわけです。
[2000.2.9]