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朝鮮戦争と講和問題について,Nifty-Serve FKYOIKUS(教育実践フォーラム専門館)の社会科会議室 に 97/03/31〜04/13 に書き込んだ発言です。
#02628/02638 GED01324  つかはら         RE^4:憲法に依存しても憲法は守れない
#( 6)   97/03/31 11:42  02507へのコメント  コメント数:1


------>  #2507  まことさん

遅くなって申し訳ありませんm(..)m

> > もう少し展開
> > してください。朝鮮戦争と反共防波堤としての日本、このアメリカ戦略
> > に巻き込まれたたりから、できれば全面講和論争も。いまどう評価する
> > し、どう教育現場で教えているのかも。

どう教育現場で教えられているのか、と言われると、授業時間が足らなくて結局 
事実の羅列に終始してしまうケースが多いのではないかと思います。私にしても 
なかなかそれ以前の出来事とは違って 戦後になってくると 説明が簡単になって
しまいますが、授業ではだいたい次のような説明をしています。

(1) 朝鮮戦争の勃発という事態に直面して、極東での軍事的プレゼンスを確保し覇
 権を握るために(日本防衛が目的かというとあいまい)、日本列島全土を軍事基
 地として自由に利用できる権利を、アメリカは日米安保条約で獲得した(講和で
 は沖縄の施政権を獲得( ヤルタ・ポツダム体制からすると、沖縄と千島[北方四
 島]の取り引き)。とともに、安保条約という枠をはめることにより日本がアメリ
 カの意向に沿わなくなることを防止。
  あとは 内乱に際しての米軍の出動とか条約期限がないなどの点も説明。
  なお、講和・安保の締結の際に、吉田茂が 経済成長を優先させるとの立場から
 アメリカの再軍備要求に抵抗したという話がありますが、アメリカがそれほど強く
 再軍備要求をしたわけでもなく、また吉田が抵抗した形跡も明確ではないとのこと
 です(1980年ころのスクープ記事があるはずなんですが、探せなかった(^^;)。
(2) 経費節減のために駐留する地上軍を撤退させるかわりに、日本に対して再軍備
 を要求する(その際に、バンデンバーグ決議が援用されますが、日本駐留は義務
 でなく権利なのだから決議が援用されることは、少々キベンじみている。しかし
 日本側がアメリカの日本防衛義務を明確化させようとすれば、つまり日本が対等
 化しようと努力すれば、そのアメリカ側の論理にひきずられざるをえず、それだ
 け日本の再軍備が不可避になる)
(3) 安保改定で、アメリカの防衛と極東での覇権確保のために、日本領域を日米両
 軍が防衛するという体制が整う。
  内容として アメリカの日本防衛義務の明確化、軍事行動などの事前協議制、
  10年の条約期限、内乱条項の削除 についても触れます。
 →沖縄返還で日本が責任分担すべき領域が西太平洋地域へ大きく拡大

さて、冷戦激化のなかでの占領政策の転換と全面講和論についてです。

1948年頃からの“占領政策の転換”については、ふつう 冷戦の激化のなかで反共
の防波堤としてアメリカが日本を重視するようになったことが契機だ、というよ
うな説明がされます。
確かに アメリカによる反共防波堤化の試みを基軸として出来事を説明していくこ
とはできますが(大学入試対策としてはそれで十分ですが)、ところが、たとえ
ば GHQ の後押しによって成立した総評が 結成から半年で “左旋回”していった
ことを考えると、反共防波堤化だけでは説明しにくい部分があります。もちろん、
総評結成の中心的な役割をになった人物のひとりが実は隠れ共産党員だったとい
うような いわば陰謀史観的な説明も可能ですが、それとは異なった視角からの説
明も可能です。
総評に結集していった労組の指導者たちの言動を見ていると、確かに反共産主義
を高らかに謳っているし、その側面は重要なんですが、それとともに、“企業内
秩序の回復と生産の復興、それを通じた民族としての自立”が強調されています。
共産党系の組合活動に対する反発が“企業内秩序の回復”=反共という図式に
なって表面化するわけですが、“生産の復興とそれを通じた民族としての自立”
を焦点とする場合、日本経済全体としてみれば、自由な国際貿易の復活、なかで
も中国との貿易の復活に対する要求がでてくるのは、戦前において中国が原料・
商品の市場として大きな役割を占めていたことを考えれば それほど無理のない発
想でしょう。実際、反共民同(→総評)の指導者だけでなく、経済界や保守政治
家のなかにも、中国との貿易復活を望む声は少なくありません。そして、その中
国はといえば、1949年に中国共産党による中華人民共和国が成立しますから、講
和は 中ソを含んだ全面講和が望ましい というのは 経済的な必要性からすれば 
でてきておかしくない発想です。
この発想も、北朝鮮の南侵による朝鮮戦争の勃発、さらに朝鮮戦争への中国人民義
勇軍の参戦という 事態の推移のなかで、動揺してます。しかし そういう状況だ
からこそ、経済復興を必要としていた地域としては米ソの二極対立が世界戦争へ
エスカレートするような事態だけは避けてほしいとの主張もでてくるわけで、そ
ういう立場(いわゆる第三勢力論になりますか)からの 全面講和論が 総評(あ
るいは総評左派=社会党左派)の主張だったと 私は判断しています(当然、戦争
の記憶が鮮やかに残っていたことも影響しているでしょう)。
もちろん 全面講和論は 共産党の主張でもありましたから 容共だとの非難も成り
立つわけですが、経済復興をめざそうとする立場からの要求という側面も見落とす
ことはできないと 私は思います。

こうした経済復興の立場からの全面講和論が中立堅持という主張につながるのも
第三勢力的な発想からすれば それほど無理のないものと言えますし、さらに
50年春の段階においてでも マッカーサー自身が非武装中立という構想の持ち主で
した。マッカーサーが“日本よ、極東のスイスたれ”という内容の発言をしたのは
49年や50年段階でのことです。ですから、朝鮮戦争勃発以前の段階において 非武
装中立を訴えることは 現実的な立場のひとつだったと言えます(ちなみに、かの
ジョージ・ケナンにしても、朝鮮戦争の最中に“日本の中立化・非軍事化”を構
想しています)。
もっとも 非武装と言っても、警察軍(準軍事組織)の設立については、保守政党
だけでなく社会党内でも要望としてあったし、マッカーサー側にもありました。
そのマッカーサー側の構想が 朝鮮戦争勃発を契機に 警察予備隊の創設という形
をとるわけです。ただし、その準軍事組織は 米軍に従属していたことが特徴で、
その点では 中立堅持・軍事基地反対の立場からの異議申し立てが生じるのも 自
然でしょう。

もちろん 全面講和・中立堅持・軍事基地反対の主張は 議会内においては少数派
にすぎませんが、それにしても 朝鮮戦争勃発によって アメリカにとっての日本
列島の戦略的な地位が大きくなるなかでは 安保条約とはちがった形も 十分可能
だったと思います。
吉田茂がアメリカとの交渉過程のなかで、それも早い段階から “アメリカへの基
地提供”という申し出を 自ら進んで行うという戦術をとっていなかったら、アメ
リカの日本駐留が“義務”ではなくて“権利”になるという事態もかわっていた
でしょうし、アメリカの論理のなかで 保安隊への改組・自衛隊の発足へと向かう
という道筋も 別の可能性があったように思います(その場合でも、再軍備がなか
ったかといえば 必ずしもそうとは断言できませんが)。

> >  今その前提も東西対立の終結で終了し

果たして終了したんでしょうか。自らとは異なる立場を“浄化”しようとする動
向に変化はみられませんし、日米安保にしても 適用地域が無作為に拡大している
だけのように思えます。

つかはら

#02655/02659 GED01324  つかはら         RE^6:憲法に依存しても憲法は守れない
#( 6)   97/04/03 13:36  02640へのコメント  コメント数:1


------>  #2640  まことさん

> >  保守政党の単独講和の論理はどんなものだったのでしょうか。つまり、吉田茂
> > 首相の考えですが。

反共主義と 可能な国から講和を実現させようとする立場からのもの と言えると思
います。
ただ 豊下楢彦氏の『安保条約の成立』(岩波新書)によると、吉田のもとで外務
省の官僚たちは さまざまな条約案を考慮していたようで、そのなかでは国際連合
の決議に基づいて米軍が日本に(暫定的に)駐留するという案がひとつの有力な案
として出されています。つまり、アメリカにべったりと依存するというのではなく
て、国際連合のもとで 主権回復を図ろうとする動きです。
しかし、結果的には 講和と抱き合わせに日米安全保障条約を締結し、さらに 日本
からアメリカへ基地提供を申し出て それに応じて米軍が日本に駐留するという形
式になってしまいますが、その形式に落ち着いてしまった要因のひとつとして 日
米間の外交交渉への昭和天皇の介在を 豊下楢彦氏は 仮説としてたてています。豊
下氏によれば 基地提供のオファーは 吉田茂の本意ではなく 昭和天皇の意向と考
えるのが妥当だろう とのことです。

つかはら


#02790/02791 GED01324  つかはら         RE^8:憲法に依存しても憲法は守れない
#( 6)   97/04/13 15:28  02657へのコメント

------>  #2657  まことさん

> > > > 日米間の外交交渉への昭和天皇の介在を 豊下楢彦氏は 仮説としてたてています。
> > > > 豊下氏によれば 基地提供のオファーは 吉田茂の本意ではなく 昭和天皇の意向と
> > > > 考えるのが妥当だろう とのことです。
> > 
> >  この仮説を裏付ける資料はあるのでしょうか。ないから、仮説となっているんで
> > しょうね。

もうしわけないですが、具体的には 豊下楢彦『安保条約の成立』(岩波新書)を
参照していただけますか。

ただ これだけでは何ですので 少しだけ補足を。

昭和天皇はマッカーサーと計11回会談を行っていますが、開催のタイミングも内容
も非常に政治的なものだったとのことです。
1946年10月に新憲法採択の直後の会談では
 日本人の教養未だ低く、且宗教心の足らない現在、米国に行われる「ストライ
 キ」を見て、それを行えば民主主義国家になれるかと思う様な者もすくなから
 ず
と 頻発する労働争議に否定的な発言を行っているし(『安保条約の成立』p.153)、
第一次吉田内閣の辞表がとりまとめられた当日に行なわれた会談では
 日本の安全保障を図る為には、アングロサクソンの代表者である米国が其のイニ
 シアチブを執ることを要するのでありまして、此の為元帥の御支援を期待して居
 ります
との発言をしています(前掲書、p156)。

さらに 1947年9月には 寺崎英成を通じて 沖縄をアメリカに提供することを次のよ
うな形で伝えています。
  天皇は、アメリカが沖縄をはじめ琉球のほかの諸島を軍事占領しつづけること
 を希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益にもなるし日
 本を守ることにもなる。・・・(中略)・・・
  天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(および要請があり次第ほかの諸島
 嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で長期−−二十五年から五十年な
 いしそれ以上−−の貸与をするという擬制のうえになされるべきである。
 (進藤栄一「分割された領土」『世界』1979年4月号、p.47)
もちろん 昭和天皇の判断だけで アメリカによる沖縄軍事占領の継続がきまったわ
けではありませんが、このような積極的な提案を行っているのです。

そして肝心の講和に際しての基地提供問題ですが、1950年8月ダレスに対して次の
ようなメッセージが文書で出されています。
 仮にこれらの人々(公職追放を受けいている人々:引用者注)が、彼らの考え方
 を公に表明できる立場にいたならば、基地問題をめぐる最近の誤った論争も、日
 本の側からの自発的なオファによって避けることができたであろう。
 (『安保条約の成立』p.164)
ここでは 基地を提供するとは明言していませんが、暗にほのめかしているとも読
めます。ただ 正直言って 現段階の私には 豊下氏の仮説の妥当性を判断するだけ
の用意はないです。

とはいえ、昭和天皇は 寺崎英成や松平康昌などの側近を通じて GHQ や アメリカ
外交官と けっこう接触していますし、政治的判断を具体的に提示しています。
こういうスタンスは昭和戦前期からさほど変化していないと判断するのが妥当でし
ょう。戦前期から昭和天皇は 政治や外交、そして戦争における作戦に 具体的な意
見・判断を提示しています。情報はきちんと昭和天皇のところへ届き、彼自身もい
ろいろと情報を集め、そして 上奏の際などを通じて 自らの意見を開陳しています
(このあたりについては とりあえず 吉田裕『昭和天皇の終戦史』、山田朗『大元
帥 昭和天皇』あたりを参照してください)。

とりあえず こんなところです。

つかはら